カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.11.10(金) 片栗粉落ちる、ボテっと。

店舗の内装作業に立ち合う。
奥のドアの仕上げ塗りをやってもらい、クールに仕上げてもらった。
ダークなグレーで締まって見える。
一瞬、どこでもドアのようなピンクにしてもらおうかとも思ったが、できあがったドアをみてしなくてよかったと心底思った。
塗装が終わり、いったん抜ける。

スーパーに寄って買い物をして帰る。
店を出る時、近くにいた女性の買い物バッグから何かがぼてっと落ちた。
片栗粉だった。
女性は片栗粉を拾って再びバックに入れ、その場をあとにした。
そのとき私は不思議な感慨を覚えた。
生活を営んでいる実感を得た気がした。
日常の尊さを思った。
片栗粉がぼてっと落ちる。
女性の買い物バッグはパンパンだった。
きっといろんなものを買ったのだろう。
食材だけでなく日用品も入っているかもしれない。
サッカー台で袋詰めする女性を想像してみた。
あれだけたくさん詰まっていたのだから、袋に詰める順番も考慮したはずだ。
まさかあの状況で卵を一番上の落ちてしまうかもしれないポジションには置かなかったはずだ。
そのポジションは、今回は落ちてもダメージの少なそうな片栗粉が担うことになった。
片栗粉の下には重いものから順番に、あるいは潰れにくいものから順番に工夫がこらされ、積み上げられているだろう。
そこに私は生きる営みを見た気がしたのだ。
少しずつ丁寧に、崩れないように、つぶれないように。
あるいは少しくらい揺れても平気なように。
比較的丈夫な片栗粉は上の方に。
何かが落ちてもダメージが大きくならないように、片栗粉には少しだけリスクを負ってもらう。
こぼれ落ちてしまったものがあっても、また拾えばいい。
もう一度積み重ねたらいい。
次は落ちないように。
家に帰った女性はまず片栗粉から取り出すことになるだろう。
さっき店を出る時に落としたことを思い出すかもしれない。
そのとき少し優しくなれるかもしれない。
今日はその片栗粉を使わないかもしれない。
何日か経って、片栗粉の封をあけてぶふぉッとなったとき、そのことをまた思い出すかもしれない。
そしてあのときの痛みを思い出すかもしれない。
あるいは反対に、そんなことすぐに忘れるかもしれない。
片栗粉が落ちたことなんて、あの女性にとっては、取るに足らないほんのささいなことかもしれない。
でもそれを目撃した私は、いまこうしてそのことを日記に書いている。
そんな私にしても、あと何日もすれば忘れてしまうかもしれない。
その店を出る時にふと思い出すかもしれない。出さないかもしれない。
防犯カメラにも映っていないかもしれない。
映っていたとしても、データはすぐに上書きされるかもしれない。
そんな無数の可能性とは関係の無いところで、いま私が生きることの尊さあるいは不思議さを思ったことは確かなことだ。
そのこと自体がなんだか嬉しい。


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