カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.4.21(金) 『本へのとびら』、『太陽と乙女』

久しぶりに妻とランチを食べた。
子どもたちがいないすきに二人で。
二人きりの外食はどれくらいぶりだろう。
すぐに思い出せないくらいには久しい記憶だ。
3年おきに子どもが3人生まれ、この春一番下の娘が幼稚園に入園した。
両実家が遠方で、二人で働いて二人で育児をしてきた。
決して楽だったとは言えない9年だったが、なんとか一区切りがついた。
今週から学校の給食と、幼稚園の弁当がはじまり、子どもの昼ごはんの世話の必要がなくなり、二人とも在宅のタイミングでランチでも行きますかという運びとなった。
ランチといっても、食べたのはラーメンなのだけれど。

ラーメンを食べた帰りに、クロネコヤマトに寄って段ボールを30箱買い、車から家まで二人で運び込んだ。
ゆったりしているんだか、慌ただしいんだかよくわからない。
気温が高くなってきて長袖では暑いくらいの、しかし吹く風は涼しい、良く晴れた昼下がりの非日常だ。

日常だろうが、非日常だろうが、そこに本があれば読む。

昨日は図書館に行ったことを書いた。
予約本を受け取るついでに、目に付いたものを適当に何冊かいっしょに借りた。
何冊かのうち4冊は新書だった。
図書館で借りる新書といえば、思い出すのは大学生の頃だ。
暇を持て余していたのだろうと思う、一時期、新書チャレンジをやっていたことがある。
大学の図書館に並んだ新書を、端から順に借りて読むということをやっていた。
著者もタイトルも確認せずとにかくはしから順番に何冊か借りて、読んだら返して、そして続きを借りる。
確かレーベルの五十音順、その中でタイトルの五十音順に並んでいた。著者名の五十音順だったかもしれない。
とにかく一番端は岩波新書だった。
新書の中でも中公新書と並んで、お堅く骨太なレーベルからはじまる新書チャレンジをしばらくのあいだ続けた。
あの時期読んだ岩波新書の数は相当数にのぼるが、残念ながら何を読んで、何を得たのかさっぱり憶えていない。
あるのは赤い新書をひたすら読み続けた記憶だけだ。

図書館で貸し出しの手続きをしてる最中、ふいに記憶がよみがえった。

昨日借りてきたうちの一冊が宮崎駿による『本へのとびら ——岩波少年文庫を語る』だ。

「生まれてきてよかったんだ、と子どもにエールを送るのが児童文学」。アニメーション界のトップランナーとして世界的に注目される著者が、長年親しんできた岩波少年文庫の中からお薦めの五十冊を紹介。あわせて、自らの読書体験、児童文学の挿絵の魅力、そして震災後の世界についてなど、子どもへの熱い思いを語る。

挿絵の魅力を語るあたり、宮崎駿らしいなと思った。
挿絵の魅力を語るなかで、面白い記述を見つけた。

話はそれますが、森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』は一種の児童書だと思うんですが、あの物語は、文庫本の表紙のカバー絵で記憶されるんだと思います。

確かにそうだなと思う。
同時に、駿、森見登美彦を読むんだなと妙に感心してしまった。
でもよくよく考えてみると、『夜は短し』のヒロインは、黒髪の乙女なので駿の趣味に合ってそうだなと思いなおした。想像だけれども。
それはいいとして、森見登美彦といえば、エッセイ集『太陽と乙女』にも収録されている文章のなかで『千と千尋の神隠し』について自信の創作の方法を交えながら語っている。すこぶる面白い上に、そこには宮崎駿への多大なるリスペクトが溢れている。
宮崎駿が自信の作品について触れてくれていることは、登美彦氏にとってはたまらないんじゃないかと思ったりしたのであった。