カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.26(火) 『学術書を読む』

記帳をしに銀行へ行く。
通帳をATMに入れても、なぜか記帳ができない。
画面には「窓口でお問い合わせください」みたいな文言が出ている。
ATMのうしろに通帳記帳マシンがあったので、今度はそれに入れてみる。
結果は同じく、「お問い合わせください」。
仕方なく、窓口へ。
地方銀行の広島支店、客は誰もいない。私だけだ。
番号札を取った瞬間、呼び出しベルがなった。
記帳ができない旨を伝えて処理してもらう。
できた。
どうやら磁気の部分が読み込めなくなっていたようだ。
なんせ、数年間もほったらかしにしていたのだからさもありなん。
以上で、銀行への用事は終了。
窓口の担当者からすれば、歯ごたえのない客だったろう。
今朝読んだ本からの連想で、流動食のような客だと思った。

学術書を読む』。
タイトルの通り、学術書を読むことの意義を説いている。
「専門家の罠」にいかに落ちずに本を選び、本を読むかといったテーマの本だ。
第一章で著者は「わかりやすさ」に言及し、三中信宏氏の言葉を引用している。
それが「流動食」だ。

稀代の読書家として私が尊敬する数理生物学者三中信宏さんは、ご自身の読書ブログの中で「流動食のような」本という言葉を使っておられますが、絶妙な表現だと思います。流動食が、健康な人にとっては舌や喉に何の刺激もない、つまりは美味しくないものであるのと同様、こうした本は、知的刺激に乏しいという意味でしょう。

出典:鈴木哲也『学術書を読む』

刺激に乏しい客として銀行を出た私は、刺激を求めて街をぷらぷら歩いた。
朝食を食べなかったせいか、空腹感に襲われた。
昼食にはまだ早かったが、目の前にあったケンタッキーに入った。
フライドチキンはそこそこの噛み応えだった。

帰りに寄ったスーパーで肉を中心に食材を買い込んだ。


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