カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.25(月) 三日目の鯛

鯛焼きをどこから食べるかという命題がある。
頭から食べるか、尻尾から食べるか、それとも他のところからか。
半分に割って食べる派もいるだろう。
インターネット上の情報によれば、だいたい7割くらいの人は頭から食べる派のようだ。
どこから食べようと大差はないように思えるが、私は頭から食べる。
理由はない。
だからこその7割なのだろう。
本題はここからだ。
なぜ冒頭に鯛焼きの話を持ち出したか。
今日もたいやきアイスを食べたからである。
3日連続だ。
一昨日昨日に引き続き、食べたたい焼きアイスは今日も極上だった。
ではなぜ、3日も連続でたいやきアイスを食べなければいけなかったのかというのがポイントだ。
まずは一昨日食べたたい焼きアイスが非常に美味しかった。
そして昨日食べたたい焼きアイスはさらに美味しかった。
ということは今日のたい焼きアイスはもっと美味しくなっているはずだ、
美味しくなっているとして、私は三つの仮説を立てた。
その一、たい焼きアイスが進化している。
その二、私の味覚が進化している。
その三、その両方。
この仮説を検証するためには、今日もたい焼きアイスが必要だったのだ。
致し方ない。
結果から申し上げよう。
三日目のたい焼きアイスは美味しかった。
それはもう、天にも昇る気持ちだ。
味の宝石箱が見えた。
先にあげた仮説はどれも正しい。
たい焼きアイスも私の味覚も進化している。
これはさすがにまずい。
何がって、このままいけば毎日私はたい焼きアイスを食べないといけなくなる。
なぜならたい焼きアイスと味覚は進化し続けるのだから。
このままいくと、私は気がついたときには老いぼれ爺さんになっている可能性すらある。
世界から取り残され、老いぼれじいさんまっしぐらだ。
さっき見えたのは宝石箱ではなく、味の玉手箱だったのだ。
待て、確か竜宮城に鯛はいなかったか。
乙姫様の横で踊っていたではないか。
踊って唄っていたではないか。
「毎日、毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれてイヤになっちゃうよ」
日本に古来から伝えられている唄じゃないか。
およげたいやきくんじゃないか。
店のおじさんとけんかして海にとびこんじゃったあの鯛は、泳いで泳いで竜宮城へ辿り着き、歌って踊って最終的にたい焼きアイスとなったということになる。
そして私たちをさんざんたぶらかした挙げ句、老いぼれ道へと引きずり込まんとしている。
たい焼きアイス、げにおそろしい食べ物だったのだ。
ああ、今日も日が暮れていく。
夕焼け小焼けでまた明日。
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