カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.13(水) 『遠きにありて』

いつもと同じような朝を過ごす。
少し本を読む。
HP作成のためにワードプレスをインストールし、テーマを設定する。
なかなか骨が折れそうである。
時間はあるので、ゆっくり作ることにする。

西川美和監督の著書『遠きにありて』を読む。
スポーツ雑誌『Number』に連載のエッセイをまとめたもの。
まったく知らなかったのだが、西川美和監督の趣味はスポーツ観戦なのだそう。
そしてこれも知らなかったのだが、広島出身でカープ好きとか。
収録されているエッセイではカープに関するものも多い。

どうして広島東洋カープは、こんなにも人生そっくりなんだろう。ミスを繰り返す。チャンスは生かせない。不甲斐なくくすぶり続けても泣きつく場所もない。そんな自分を重ね合わせて、泣いてしまいそう。けれど全国で赤いユニフォームを着る人もまた、がんばれがんばれカープ! と叫びつつ自分自身を奮い立たせているのではないか。なぜなら凡そ人間は、本当は「持って」などいないし、どんな立場であれ、自分の弱さに歯噛みしているからだ。そして人生はやはり、物語のようには行かない。さようならマエケン。ありがとう黒田さん。私たち、次の夢を見るときまでちゃんと生きていられるかしら、と塩からい喉をごくんと鳴らした。

引用:西川美和『遠きにありて』

広島に住み始めて驚いたのは、広島の人の日常は常にカープに接しているということだった。
スーパーで買い物中のおばちゃんや、家から出て来て自転車でどこかへ向かうおばちゃんがカープのユニフォームを着ているのをみたときに、ここはそういう土地なのだと妙に感心した。
今ではもう慣れてしまったけれど。
しかし、まさかカープと人生がそっくりだという視点はなかった。
だがそれも、突飛な発想ではないことに思えるくらいに、私もこの地に馴染んでいるのだろう。

「物語」は、在るものでも、出来るものでもない。必ず人がつむぐものだ。

引用:西川美和『遠きにありて』

そうなのだ。
連綿と続く生活の中に、「カープと私」という物語をそれぞれの人が紡いでいるのだ。
いまや、私もその一人なのかもしれないと思うのだった。


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