朝、小学生ふたりが学校へ行く。
「これ何?」
妻がテーブルの上に置いてある筆箱をみつける。
「次男が忘れてるな」
妻が筆箱をもって追い掛ける。
しばらくして帰ってきた妻はまた外に行こうとしている。
「アサガオの種も忘れたんやって」
朝から二往復おつかれでした。
娘と妻が幼稚園に行こうとしていると雨が降りだした。
車で行くことを提案する妻と、歩いて行きたい娘の駆け引きが始まる。
娘が勝利をもぎとり、雨の中を歩いていくことになったようだ。
午前中に業者との打ち合わせ。
ついでに買い物を済ませる。
昨日届いたかごに掛けるタイプの買い物バッグを使ってみたら、荷詰めの作業がまるまるスキップできて楽になった。
こんなことなら早く導入しておけばよかった。
昼ごはんに担々麺を食べる。
昨日も今日もそばを食べていない。
2日も空いたのは久しぶりじゃないか。
そろそろ天かすとネギが恋しい。
『無目的』を読む。
目的を持たないことの価値が、過去の偉人たちの例と共に語られる。
少なくともモンテーニュ以来、エッセイは無目的性を抱えた文芸である。つまり、無目的性をその本質として最もよく捉え、通常それを言祝いでいる。目的がないことを欠陥とせず、むしろ豊かさと捉えているのである。エッセイを支配するのは無目的性であり、それが話を進ませる。もちろん時には物語や評論と同じように、直線的な進み方をする場合あるが、最良のエッセイはむしろ、脱線に脱線を重ね、別の方向に逸れたり戻ったりする。
引用:トム・ルッツ『無目的』(青土社)
目的を持たないことは豊かであるというのが良い。
このブログにしたってそうだ。
豊かかどうかはわからないが、目的がないことだけは確かだ。
本書の副題が「行き当たりばったりの思想」であるように、出たとこ勝負で書き始め、行き当たりばったりで筆を進める。
着地点などみていない。
それではまた明日。