カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.8(木) 『いい匂いのする方へ』

初任給で何を買ったかという定番の話題がある。
親にプレゼントを買ったり、家族と食事に出かけたり、大切な人のために使う人が多いなか、徹底的に自分に使った。
原チャリとミニコンポを買って、いくらも残らなかった。
15年前の春のことだ。

大学を卒業後、新入社員として3週間の研修を終え、配属されたのは広島支店だった。
知り合いは誰もいない、縁もゆかりもない土地での生活が始まった。
大学生の頃に使っていた家具家電は、後輩たちに譲ったり処分したりしたので、また一から必要なものを揃えることになった。
わずかにあった貯金で一通り揃え、広島着任した頃、ちょうど初めての給料日を迎えた。
広島での最初の週末、街の家電屋でSONYのHDD付きミニコンポを買った。
私の一人暮らしに足りないのは音楽だった。

TSUTAYAで当時、5枚1000円のCDをレンタルしてはHDDに録音して翌週返し、また5枚借りる。
聴くペースが借りるペースに追いつかず、ぜんぜん聴きこめなかった。
だけれど、新入社員としての生活をやっていくには、音楽を鳴らしていることが必要だった。
外でも聴けるように、ウォークマンに曲を移した。
iPodではなく、ウォークマン派だった。
ちなみにスマホiPhoneではなくアンドロイドだ。

当時、基本的には電車で通勤していたのだけど、一時期、会社に内緒で原チャリで通勤していたことがあった。
あまりよろしくないのだけれど、そのときにイヤホンでよく聴いていたのはスピッツサニーデイサービスだった。
会社で嫌なことがあっても、スピッツサニーデイサービスを聴いているうちになんとなく解放される、癒しの効果があった。
スピッツはもともと好きでよく聴いていたのでその延長だったが、サニーデイサービスは自分にとって再発見のような趣があった。
学生時代に何枚かのアルバムはMDで持っていたが、そんなにハマるほどではなかった。
だけど、TSUTAYAでアルバムをまとめて借りて、まとめて聴いているうちに、温かみのある音楽性に魅了され、会社の帰り道の定番となった。
そのときよく聴いていたのは『24時』と『MUGEN』というアルバムだった。

ヘルメットのせいで髪の毛がぺちゃんこになるのが面倒だという実務的な理由で原チャリでの通勤はやめてしまった。
なぜか電車で聴くサニーデイサービスはしっくりこなかったので、そのうち聴く頻度が減ってきた。
結婚や、転勤、転職、育児などライフスタイルの変化もあいまって、音楽との付き合い方も変わってきた。
音楽の趣味じたいも変わってきた。
そういうわけでサニーデイサービスは私の生活からちょっとずつ遠のいていった。
ストリーミングのサブスクが主流なって以降、ときどき新譜を聴いてみるくらいだ。
もうHDD付のコンポは処分してしまった。

サニーデイサービスのフロントマン曽我部恵一のエッセイ『いい匂いのする方へ』を先日、たまたま見つけた。
そこには音楽や家族、人生にまっすぐに向き合う曽我部恵一の姿があって、なんだか懐かしい気持ちが甦ってきた。

レコードとは文字どおり「記録」である。レコードを聴くことは、だれかの声を聴くことである。確かにだれかがそこにいたのだ。レコードをターンテーブルに乗せる。だれかがこう叫んでいる。「ぼくだよ! ぼくはここにいるよ!」と。

出典:曽我部恵一『いい匂いのする方へ』(光文社)

私にとっては、あのSONYのHDDコンポの音楽たちこそが記録であり記憶だ。
HDDを復元することはもう叶わないが、曽我部恵一の歌声はわたしのなかにしっかりと刻み込まれていて、心象風景としていつでも再生可能だ。


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