カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.8.15(火) 「心願の国」原民喜

台風の影響で、義実家への帰省の予定が一日延期になった。
といっても帰省するのは私以外の家族で、私は留守番を仰せつかっている身なのだが。
幸い私の住む広島では、雨も風もほとんどなく、凪の一日を過ごすことになった。

終戦記念日の今日、読み残していた原民喜「心願の国」を読む。
本作は原民喜自死後に発表された、絶筆の作品だ。
冒頭、〈一九五一年 武蔵野市〉から始まる文章は、語り手「僕」の心情が独白のように綴られていく。
夜明けころ、寝床で僕は小鳥の鳴き声を聞いている。
美しく安らかな情感を感じさせたかと思いきや、すぐに死の予感が持ち込まれる。

寝床のなかで、何かに魅せられたように、僕はこの世ならぬものを考え耽っている。僕に親しかったものは、僕から亡び去ることはあるまい。死が僕を攫って行く瞬間まで、僕は小鳥のように素直に生きていたいのだが……。

引用元:原民喜「心願の国」

本作が作者・原民喜の、広島での被爆体験をもとに書かれた一連の作品群であることを考えると、この主人公は作者自身のことなのだろう。
僕は見上げた空に浮かぶ星を見て、母を思い出し、亡くなった妻を思い出し、孤独のなかに溶け込んでいく。
あるいは、まどろみのなかでみた爆発のイメージから、原爆の記憶が頭をよぎる。
しかし、僕がみているのは絶望でも悲観でもなく、調和のイメージだ。

だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何もののよっても粉砕されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みていたような気がする。

引用元:原民喜「心願の国」

調和、そして平和を願いながらも文章全体に漂う死のイメージに、なんともいたたまれない感慨を覚える。
踏切で目の前を横切る電車、澄み渡る青空、雪の残ったひんやりとした空気、六歳の頃の夏の午後の記憶、麦畑から飛び立つ雲雀。
隣り合う生と死の美しく儚いイメージを、どのように消化すればいいのか私はまだ答えをもっていない。


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