カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.7.17(月) 『津軽』

太宰で泣くとは思わなかった。
何がって『津軽』である。
ある年の春、太宰治が3週間かけて生まれ故郷の津軽地方への旅を元にした紀行文風の小説だ。
旧友と酒を飲み、兄弟の住む実家を訪れ、津島(太宰)は訪れる先で旧交を温める。
道中の交歓の様子を太宰らしいユーモアを交えながら面白おかしく、ときにしみじみとした情感で描く。
「いいところは後廻しという、自制をひそかに楽しむ趣味が私にある」という弁の通り、クライマックスは最後にやってくる。

私はたけのいる小泊の港へ行くのを、私のこんどの旅行の最後に残しておいたのである。

たけとは、津島の幼少期の乳母で育ての親だ。
たけは14歳の頃に津島の家に奉公で来ており、当時3歳だった津島と6年間を過ごしている。
病気がちだった母の代わりに、幼い津島の子守りをして一緒に過ごした。

やがて私は故郷の小学校へ入ったが、追憶もそれと共に一変する。たけは、いつの間にかいなくなっていた。或漁村へ嫁に行ったのであるが、私がそのあとを追うだろうという懸念からか、私には何も言わずに突然いなくなった。

たけが突然いなくなってから30年が経ち、この津軽旅行の企画が立ち上がった当初から太宰はたけに会いたいと願い、そして会いに行く。

たけの住む小泊まで来て、近所の人に家を教えてもらうも、戸には鍵がかかっており留守であった。
途方に暮れていると、通りがかったお婆さんが運動会へ行ったんだろうと教えてくれる。
急いで小学校へ向かい、大勢の観客の中からたけを探すがなかなかみつからない。
縁がなかったのだとあきらめ津島は帰ることを決意する。
バスに乗る前に今生の暇乞いをするためにもう一度留守宅へ行くと、入り口の鍵が開いているのをみつける。
ごめんくださいと声をかけると、中から出てきたのは14,5歳の少女、たけの娘であった。
薬を飲むために一度帰宅していたという娘に連れられて、ついにたけと再開を果たす。
挨拶を交わしたぐらいで、たけとの会話はないまま一緒に運動会を見物する。

けれども私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思う事がなかった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。もしそうなら、私は生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。

この旅が行われたのは1944年の5月。
太宰はこの時点ですでに10数年に渡り、何度も自殺を図っている。
実際に4年後の1948年に亡くなっていることを考えても、常に死の予感を抱えていたに違いない。
その太宰が育ての親に30年ぶりの再会を果たし、「生まれてはじめての心の平和を体験した」というその気持ちはいかなるものだったのだろうか。
たけは運動会の途中で、桜を見に行こうと津島を連れ出す。

たけは、突然、ぐいと片手をのばして八重桜の小枝を折り取って、歩きながらその枝の花をむしって地べたに投げ捨て、それから立ちどまって、勢いよく私の方に向き直り、にわかに、堰をきったみたいに能弁になった。

ここからのたけの語りが泣けてくるのだ。
このクライマックッスの場面を最後の最後に用意していた太宰の小説家としての技もそうだし、ひとりの人間としての津島修二の純朴さにも心を打たれてしまう。
ここで描かれる太宰(津島)の姿は、まったく人間失格ではない。

 

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