子ども三人と近所のショッピングモールへ行き、フードコートで昼食をとる。
娘がポテトを食べたいと言うのだ。
この娘、どこに行ってもポテトしか食べない。
楽と言えば楽だからいいのだけども、それでいいのか心配にもなる。
雨のせいか、フードコートはたいへん混雑している。
まずは席を確保したいが、まったく空いていない。
しばらくぐるぐるまわってもまだ空かない。
何度か往復したあと、やっとのことで席を確保した。
マクドナルドのモバイルオーダーで注文する。
娘はポテトとアップルジュース。
息子二人はダブルチーズバーガーのセットをそれぞれ注文。
待っているあいだに私はリンガーハットで冷やしちゃんぽんを注文する。
麻婆茄子が乗っている。
マクドで商品を受け取り、子どもたちは食べ始める。
ほどなくしてリンガーハットの呼び出しベルが鳴ったので、取りに行く。
むしゃむしゃと食べ始めた頃、スマホのアラームが鳴りだす。
私だけではない、フードコート中のスマホが鳴っている。
土砂災害警報のアラームだ。
ただでさえ、がやがや騒がしいフードコートで、アラームが一斉に鳴りだし、すごいことになっていた。
娘のポテトをパクついていると、知人に会った。
数カ月前に生まれたばかりの赤ん坊を抱いていた。
奥様も元気そうで何よりだった。
マクドにはたくさんの人が並んでいた。
ざっとみても20組以上は並んでいたと思う。
マクドの行列に育児の過酷さを見た気がした。
みたところ並んでいる人のほぼ全員がファミリーだ。
うちと同じように、子どもが望むので昼食にマクドを選んだのだと思う。
わざわざ好き好んで行列に加わっているわけではないだろう。
こう言ってはなんだが、しょせんマクドだ。
何十人もの列に並んでまで食べたいものでもない。
モバイルオーダーを使えばこんなに並ぶ必要はないと思うものの、それぞれに、それぞれの事情があるのだろう。
マクドの行列というこのままならなこそ、育児の過酷さのひとつの表象なのだと思う。
麻婆茄子の入った冷やしちゃんぽんは大変美味しかった。
子どもたちのおやつを買って帰宅した。
帰り道は大雨に見舞われた。
駐車場から家に入るまでに全員でびしょ濡れになった。
太宰治『津軽』を読む。
ある年の春、太宰が三週間かけて津軽半島を一周した旅行のことを綴った文章だ。
序章において太宰はこの作品について、津軽にまつわる情報ではなく、愛と呼べるようなものを書いたのだと宣言している。
それらに就いて、くわしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追求した。
何をみせてくれるのだろうか。