カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.11(日) 購入前の本が読めるカフェってどうなんだろうな。そんな店は本を大事にしているようには思えないし、そんな客なんて本好きだとは思えない。

馴染みのパン屋に、パンを買いに行く。
家族の注文を取る。
妻はなんでもいい。
長男、きなこパンと塩パン。
次男、カレーパンとサンドイッチ。
長女、クロワッサン。
私は、何か適当に
と、5人分のパンを買うだけですごい量になる。

店には数人の客がいた。
併設のカフェでモーニングをしている人もいる。
奥では職人が忙しそうにパンを焼いている。
残念ながら、すべての要望に応えることはできなかった。
妻には、メンチカツパン。
長男は、塩パンとウィンナーのパン。本日きなこパンはなかった。
次男はカレーパンとサンドイッチ。リクエスト通り。
長女はクロワッサン。甘いコーティングしてあるやつ。
私はあんぱんとポテトパンになった。
トレーに乗りきらないほどのパンを買う。
2000円越えである。

パンとは全然関係のないことを書く。
併設のカフェで思い出した。

店内の本が自由に読める本屋併設のカフェがある。
これっていかがなものかと思う。
自由に読めるということは、文字通り自由に読めるということだ。
好きなだけ読むことができると。
読んでるあんたはそれでいいだろう。
ただで本がたくさん読めて満足だろう。
でもあんたが読んだその本はどうなる?
棚に戻すわけだろう?
あんたがコーヒーを読みながら優雅な気分で読み倒した本が、新刊として再び棚に並べられるわけだ。
折り目や汚れがついているかもしれない。
あんたは、きれいに読んだつもりかもしれないが、少なくとも誰かが読んだ時点で新品としての価値は目減りしているはずだ。
古本と言っても過言ではない。
それが定価で新品として並んでいる。
それを知らずに買っていく次の客はどう思うのだろう。

それを良しとしている本屋も本屋だし、客も客だ、
店側は新刊書店としてそれを許容すべきではないと思うし、読み放題だからと何も考えずに嬉々としいる客にも腹が立つ。
店も客も本が好きなわけではないんだろうな、きっと。
ただで読みたいなら図書館へ行けばいい。

前半のパン屋の話がかわいそうな構成になってしまった。
かわいそうなので、最近読んだ本の話でサンドイッチしよう。
パンだけに。

最近、夏目漱石の『虞美人草』を読み始めた。
高校生の時以来の再読だ。
漱石や太宰といったいわゆる文豪系の作品は高校生から大学の頃にかけて、主要なものはひととおりまとめ読みしている。
だが若かったゆえ、その妙味というか面白さのいくらかもわからないままのもが多いし、内容を忘れているのもけっこうある。
そういう意味で、時間を経たいまちょこちょこ再読していると、新鮮な気持ちで読めるたりと懐かしかったりが入り混じって案外面白い。
虞美人草』に関しては前者で、まったく憶えていないようなので新鮮だ。