カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.3(土) 『記憶と想起の教育学』

たけのこ体操して、フォークダンスして、かえる作って、お歌うたって、プレゼントわたすのよ。

今日は娘の幼稚園のふれあい参観日だった。
前日の晩にネタバレをくらった通りの進行だったが、もちろんその良さが失われることはない純文学的な参観に行ってきた。
名作にはネタバレなんて関係ないのだ。

ここ1週間、なんだかんだすぐれなかった娘の体調もなんとか持ち直し、元気になった娘と登園した。
ふれあい参観の名目ではあるが、その実、父の日を前にした父親メインの参観日であったところの行事で、普段あまり顔を合わせることのない面々が園庭にわらわらいて新鮮な感慨を覚えた。
コロナ以降、このような賑わいも久方のことであり、日常を取り戻しつつあることが身近に感じられる一日であった。

帰りに、フードコートで私は丸亀製麺、娘はマクドのポテトと定番の昼食を摂った。
丸亀製麺の天ぷらで、新しく追加されていたズッキーニを食してみた。
夏らしくて良いと思う一方、やはりナスの美味しさにはかなわないということを確認した。
丸亀製麺のなす天は定番化するべきだと思う。

夕方は美容室へ行き、いつもより少し短めの夏仕様にしていただいた。
ひとまわりほど年下の美容師との会話で知ったのだけれど、マクドナルドでは先週から「平成バーガー」が復活してメニューに並んでいるらしい。
そのことはなんとなく知っていたが、当地では「平成バーガー」販売の対象外なのだそうだ。
なんだかよくわからないが、そんなこともあるんだなとどうでもいい感想をもつだけであった。

夕食には親子丼を作った。
私は生卵アレルギーなので食べないのだけれど、次男坊が食べたいと言い出したものだからしょうがない。
切った鶏肉と玉ねぎを、たれで煮込む。
私は大学生のころ、なか卯というチェーン店でバイトをしていたとがあり、親子丼は看板メニューでもあった。
数えきれないほどの親子丼を作っていたころの記憶が、鶏肉をひっくり返すうちによみがえってきた。
小さく切った鶏肉のひとつひとつが、記憶の断片のように感じられた。
あのとき私はまだはたちそこそこで、社員だった当時の店長たちは今の自分よりも年下なんだなと思うとなんだか不思議な感じがした。

「情報を符号化し、蓄積し、時を経てそれを呼び起こす心的な能力」と定義される記憶については、かねてより関心を抱いてる。
このごろ、ジブリへの関心が高まってきているのも、また一方で読み直しはじめた福岡伸一先生の「動的平衡」に関する一連の研究への関心も、この記憶とはなんぞやというところから始まっている。
時間をかけて取り組みたい課題である。


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