カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.29(木) 『エレクトリック』

雨。
昨日と同じような時間に、同じような激しい雨が降る。
洗濯物を取り込む。
しばらくすると晴れ間がのぞく。
再び洗濯物を外に干す。
数十分後、また激しく降りだしたので、あわてて洗濯物を取り込む。
完全に翻弄されている。

芥川賞候補作、千葉雅也の『エレクトリック』を読み始める。
舞台は1995年の栃木県宇都宮市
東京に憧れる高校2年生の達也が主人公。
広告代理店を営む父親に与えられたパソコンでインターネットに接続したところから、新しい世界に繋がった少年がどうなるのか。
というようなストーリーだが、今日は少ししか読めなかった。

 ところで、先日の日記で宇都宮に転校していった友人のことを書いた。
月に二度も宇都宮に言及することになるとは思いもしなかった。

芥川賞候補作を順に読んで、予想しようという試みをしているわけだが、候補作の乗代雄介『それは誠』の発売日が今日だ。
奇しくも今日、乗代雄介の『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』を読み終えた。
600ページ越えの大著を、ちょこちょこ数カ月かけて読み終え、心のつっかえが取れたような感慨に浸っている。

日々、ある意味ではノルマをこなすように本を読み続けているわけだが、これが何になるのだろうと思わない訳ではない。
一方で、読まずにはいられない自分もいるわけで、これは業のようなものなのかもしれない。
意味なんて求める必要はないのだろう。

人生の意味なんか「わからない」ほうがいいので、わからないと気がすまないというのは、気がすまないだけのことで、それなら気を散らせばいい。私は気を散らすために、虫取りをはじめとして、いろいろなことをする。今日も日向ぼっこしていたら、虫が一匹飛んできた。寒い日だったから、なんとも嬉しかった。今日も元気だ、虫がいた。それが生きているということで、それ以上なにが必要だというのか。

養老孟司『ものがわかるということ』(祥伝社)

養老先生もこのように言っておられるのだから。


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