カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.30(金)「エンジェル・コインランドリー店」

トニーは目を開けなかった。他人の苦しみがよくわかるなどと言う人間はみんな阿呆だからだ。

ルシア・ベルリン「エンジェル・コインランドリー店」(講談社、『掃除婦のための手引き書』所収)

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』を棚から引っ張り出して、ひとつめの短編「エンジェル・コインランドリー店」を読む。
舞台はニューメキシコ州アルバカーキにあるエンジェル・コインランドリー店。
いろんな客が来るコインランドリーで、なかでも一番多いのがインディアン。
主人公の女性は家の近くに別のコインランドリーがあるにもかかわらず、町の反対側にのこの店にわざわざやってくる。
その理由は本人もわかっていない。
わからないけれど「インディアンと彼らの洗濯物が好き」らしい。

インディアンの服が回っている乾燥機を、目をちょっと寄り目にして眺めるのが好きだ。紫やオレンジや赤やピンクが一つに溶け合って、極採色の渦巻きになる。

主人公の女性がエンジェルコインランドリー店に行くと必ず、同じ時間にインディアンのトニーがいる。
時間も曜日もまちまちなのに、いつ行ってもトニーが先にきている。
ある日、乾燥が終わるころ、外出していたトニーがへべれけの状態で戻って来て椅子に座るなり気を失う。
店主が床に寝かせたトニーに、あんたの苦しみはよくわかるよと声をかける。
そのときの描写が冒頭の一節だ。

トルストイが『アンナ・カレーニナ』のなかで「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と言うように、『掃除婦のための手引き書』にはわかりようのない個別の苦しみが描かれる。
アイロニーやウィット、そして控えめなユーモアを交えながら描かれる痛みや苦しみは、著者の実体験に材を取っているという。
どの短編も読むたびに、自分の中の違う場所を揺さぶられているような感覚に陥るのは、波瀾万丈の人生の中に色鮮やかな光をみるためではないだろうか。

と、「エンジェル・コインランドリー店」を改めて読んでみたのには理由がある。
今日は日中と夜、二回もコインランドリーに行ったからだ。

今日は一日中雨だったので、朝からコインランドリーで乾燥機を回した。
洗濯物が乾かないというのは地味にストレスを感じるので、乾燥機がない我が家ではこの時期はなかなかつらいものがある。
明日も朝から晩まで降り続きそうなので、先手を打って明日の分の洗濯物を回し、乾燥機にかけて帰ってきた。
そして、この短編のことを思い出したので読んでみた、ただそれだけのことだ。


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