カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.19(月) 餃子

二週間に一度、家事代行に来てもらっている。
主に水回りを中心に掃除してもらう。
二週に一度の家事代行の日を我が家では、Nさんが来る日と呼ぶ。
今日がその日だった。
そして、Nさんが来る日の献立は餃子と決まっている。
特に理由はないけど、いつのまにか定着していた。
冷凍の餃子を買って焼くだけなので、家事簡略化の一環なのかもしれない。

最近は餃子の無人販売所が増えたので、いろんなところの餃子を順番に試している。
どこの餃子もそれなりに美味しい。
無人販売所だけでなく、大きめのスーパーの冷凍食品コーナーにもいろいろな種類の餃子が並ぶようになった。
世界はこんなにも餃子に満ちているのかと驚く。
冷凍餃子を買うようになって、自分で包む餃子をすることはほとんどなくなってしまった。
手間と便益を天秤にかけた時にどうしても、面倒くささが勝ってしまう。
今日は浜松の餃子であった。
浜松が餃子の名産地なのかよく知らないけれど、よく見かける気がするのでたぶんそうなのだろう。
餃子と言えば宇都宮というのは、今は昔のことなのだろうか。

宇都宮と言えば、中学生の頃、友人が福岡から宇都宮に引っ越すことになった。
小学生の頃から仲の良かった友人で、同じサッカー部のキャプテンだった。
お父さんの仕事の都合だったと思う。
福岡から栃木なんて、いったいどういう都合なのだと思ったけれど、自分が大人になった今、そういうこともあるかと理解できるようになった。
だが、当時は栃木県なんて社会の教科書でしか知らない異国だった。
最後にその友人に別れを告げた日の、なんとも言えないアンニュイな感情が、そのときの情景と共に身体的な記憶として残っている。
キャプテンであるその友人がいなくなったことで、副キャプテンがキャプテンになり、私が副キャプテンになった。

中学を卒業し、高校入学を控えた春休み、その友人が福岡に遊びに来た。
友人が進学した学校では、百人一首を覚えるという課題が課され、友人はぶつぶつ言っていた。
彼は小学生の頃から公文式に通っていて、成績は良かった。
そして、なによりも驚いたのは、しゃべり方が栃木ナイズドされていたことだった。
たったの一年程度のうちに、宇都宮市民としてのアイデンティティを獲得していた。

彼が今どうしているのかは知らない。
そしてまだ私は宇都宮に行ったこともない。
ただ脊髄反射的に餃子と言えば宇都宮が思い出されるだけだ。