カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.4.30(日) 『この世の喜びよ』(井戸川射子、講談社)

昨日、いつもとは違うスーパーに買い物に行った。
たまには気分を変えて、違うところに行こうと。
ときどき行くけど、最近ご無沙汰だったそのスーパーに次男と娘の私の3人で行くことになった。
夕食の食材と、子どもたちのおやつを買った。
そのスーパーでは子連れで行くと、先着でコインがもらえて子供一人につき一回ガチャができる。
中には飴玉やチョコレートなど個包装の小さなお菓子が入っている。
まれに50円だか60円だかくらいのスナック菓子がもらえる「当たり」の紙が入っていることがある。
先着と書いたが、コインがもらえなかったことは一度もない。
子どもにとってはちょっとうれしいスーパーなのである。

昨日からゴールデンウィーク特別企画として、スタンプラリーが実施されていた。
4/29~5/7の期間中、店内のどこかにそのスーパーのマスコットキャラのシールが貼られていて、それをみつけた場所をサービスカウンターで告げると本日分のスタンプゲットとなる。
プラス、ペコちゃんのペロペロキャンディがひとつもらえるというおまけつき。
もらえるスタンプは当日分の一日一個。
子どもの日はWチャンスで2個もらえるので9日間で最大10個、そのうち5個集めるとお菓子の詰め合わせがもらえるというもの。
探して楽しい、集めて楽しい、お菓子までもらえるドリーミィな企画なのだ。

子どもの関心を引くことで、リピート来店を促す子供だましのような施策だが、我が家の次男は見事に釣られたのであった。

朝、起きるなり今日の買い物はどこに行くのかと聞いてくる。
もちろんその念頭にはスタンプラリーのことがある。
「あと4つ貯めればお菓子がもらえるから」とぶつぶつ言っている。
とりわけ却下する理由もないけれど、さりとて特別そのスーパーに行きたいわけでもない。
こんなことなら昨日、そこに行かなければ良かったなと思いながらも、まあGWのアクティヴィティのひとつとしてノッてやろうということで今日も行ってきた。

お肉コーナーにあるスタンプをみつけ、会計後にガチャを引いたあと(いちごミルクのあめだった)、サービスカウンターでスタンプをもらう。
今日もらったポップキャンディは期間限定のブルーソーダ味で、ご満悦そうな次男であった。
現在、スタンプは2個。
5日のWポイントを使ってもあと2回ここへ行かないといけない。
家から少し離れているので億劫だなと思いつつも、きっと行くことになるのだろう。
数年後、きっと次男も私もこのことを忘れているだろう。
だから、ここに記録しておく。

育児とは賽の河原みたいなものだ。
やってもやっても終わりはないし、昨日と今日の区別もつかないような日々が続いていく。
だけれども、ひとたび終わりを迎えてしまえば、大変だったことはなかったことのように忘れてしまうものなのだろう。
あるいは、その大変さや苦しさも含めた、良い記憶として定着していくものなのかもしれない。
どちらにせよ、喉元すぎればなんとやらなんだろうなと想像する。

と、こんなことを書いているのは、今日読んだの本が、昨年、芥川賞を受賞した井戸川射子『この世の喜びよ』だからだ。
表題作の短編「この世の喜びよ」は育児をテーマとしている作品だ。

 主人公はショッピングセンターの喪服売場で働く穂賀。
穂賀には二人の娘がいるが、それぞれ社会人と大学生で、子育てはほぼ終えたような時期にいる。
特徴的なのは、二人称視点、「あなた(穂賀)」に向けての語りでストーリーが展開していく点だ。
フードコートの常連の少女とのやり取りを中心に、ショッピングセンターの描写と穂賀の心理描写が丁寧になされ、ひたすら余韻を残しながら物語は進んでいく。
その細かい心理描写のほとんどすべてが育児の思い出と結びつく。
例えば、ゲームセンターの常連のおじいさんが、ばあさんが焼いたパウンドケーキを食べきれないからと差し入れする場面がある。
穂賀がパウンドケーキを半分に割ると、おじいさんは「ものすごい均等だわ」と驚く。
穂賀にとってみれば、なんてことはない。

娘たちのケーキや果物を割ってきたから、あなたは同じ大きさ、幅に切ることがとても得意だ。シュークリームでも海苔巻きでも、あなたはどこに指を入れ込めば真ん中で割れるかが分かった。

引用元:『この世の喜びよ』(井戸川射子著、講談社)

これは一例に過ぎないが、穂賀の言動や、やりとりの中で明らかになる少女の悩みが、育児の記憶と輻輳するように重なり合い不思議な読み心地を誘う作品だった。

私もまた自身の育児と照らし合わせるように読みながら、この世の喜びに思いを馳せてみるのであった。


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