カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.16(金) 『別れの色彩』

梅雨明けみたいな青空だ。
幼稚園から帰ってきた娘は、パンツ一丁で過ごしている。
汗ばんでペタペタしているから、できれば接触したくない。

 

芥川賞の候補が発表された。
どれも読んでいないのでわからないが、未読の現時点での予想をしておこう。
市川沙央「ハンチバック」か乗代雄介「それは誠」のどちらかじゃないかと思っている。
発表までに読んで、改めて予想してみようと思う。

 

本を読むのにいまだスタイルがつかめないでいる。
いまは何冊かの本を並行して少しずつ読んでいるが、はたしてこれが最適なのかはわからない。
いろいろな制約のなかに読書があるので、自ずとこのスタイルに落ち着いている。
ほんとうなら、一冊読んで読み終えたら次を読んでというようにしたい気もする。
何冊も同時に読み進めるていて困るのは、それぞれの本で濃淡がでることだ。
それは自分の関心の度合いを測る意味では良いようにも思えるが、いつまでも読み終わらず本棚に鎮座している本もでてくる。
それがどうも頭のどこかに引っかかって気になってしまう。
それならいっそ、一旦はクローズにして再び気が向いたときに読み始めればいいような気もするがなかなか踏ん切りをつけられない。

何冊も同時に読み進めることを許しているが、ひとつだけ決めていることはある。
小説は基本的に増やさないようにしている。
短編を1冊、長編を1冊までとしている。
現在進行形で読んでいるのは夏目漱石の『虞美人草』とベルンハルト・シュリンク『別れの色彩』。
短編集は一日一編読むのにちょうど良い。

『別れの色彩』はタイトルが示すように「別れ」を題材にした9篇が入っている。
どの短編も主人公は老年を迎え、人生のある時点でのいわば傷や痛みとその意味に向き合う姿が描かれる。
そのうちの一編「愛娘」では、ある男が離婚して再婚した女性の連れ子との関係、その連れ子の妊活がを中心に物語が展開する。
男の終始一貫したある種の達観した態度と、終盤のできごとへの戸惑い様子がギャップを以って描かれるが、解決へのヒントを聖書に求める姿が印象的であった。





f:id:cafeaulait-ice:20230617003712j:image