カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.18(日) 『静寂とは』

朝ご飯のような昼ごはんのようなパンを買いに行く。
パリの朝という名前のパンが美味しい。

昼、次男とその友達と公園へ。
息子の通う小学校では、三年生までは子ども一人で自転車に乗ってはいけないルールがある。
自転車に乗るときは保護者が付き添う必要があるのだ。
我が家から公園まで行くのに、次男は自転車に乗って行けない。
なので付き添うことにした。
公園では子どもたちがたくさん遊んでいる。
遊具で遊んでいたり、ボールで遊んでいたり、いつ来ても賑やかだ。
公園で私はただの見守り。
ベンチに座って本を読む。

アーリング・カッゲ著『静寂とは』。
世界で初めて三極点(南極点、北極点、エベレスト山頂)に到達したノルウェーの冒険家である著者による哲学的なエッセイ。
静けさとは何か。それはどこにあるのか。それがなぜいま重要なのか。
この三つの問いに答えるための文章。
騒がしい公園のベンチで静寂についての本を読む私に、著者は教えてくれる。

内なる静けさを見つけることは誰にでもできる。それはつねにそこにある。ひっきりなしの騒音に囲まれているときでも、深海にいるときでも、変わりはない。シャワーを浴びているときでも、パチパチと音を立てて燃える火の前に座っているときでも、森のなかの湖で泳いでいるときでも、野原を歩いているときでも、ほとは完璧な静けさを体験することができる。わたしはそのときを愛している。

騒がしい公園で、ひとり静かに本を読む。
考えてみれば、公園のベンチに座って子どもたちが遊んでいる様子をただ眺めているのは贅沢なことなのだ。
著者は静けさも贅沢なのだと言っている。

わたしは静けさを新しい贅沢だと考えている。静けさは他の贅沢より特権的で、永続性がある。嬉しいことに、娘のひとりはそのことを次のように表現してくれた。”静けさっていうのは、次から次へと贅沢を追い求めているひとには、決して手に入れられない唯一のものじゃないかしら”

こんな休日も悪くない。
暑いことを除けば。


f:id:cafeaulait-ice:20230618204722j:image