カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.5.8(月)『ひとりあそびの教科書』(宇野常寛)、後ろ向きにダッシュすること

雨が上がって月曜日。
空晴れ渡って、風強い。
パスタをゆでて、アルデンテ。
かけたソースはボロネーゼ。
サラダという名のレタス添え、ドレッシングはピエトロで。
教科書みたいな七五調。
七五七五七七五。
雨雨権藤雨権藤。
『ひとりあそびの教科書』と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

河出書房新社の「14歳の世渡り術シリーズ」がけっこう好きだ。
タイトルの通り、各界の第一人者によるティーンズに向けた人生を謳歌するための指南書とでも言えばいいだろうか。
こうして言葉にすると、説教くさく思えてくるがそんなことはない。
ちょっと先を行く先輩たちからのメッセージのような本だ。
大人が読んでもじゅうぶんに面白い。

最近刊行された宇野常寛氏の『ひとりあそびの教科書』を読み始めた。
本を買ったらまずは最初に帯やカバーの折り返し、著者略歴や奥付を一通り確認する。
目次をぱらぱらみて、なんとなく内容へのあたりをつける。
そして「はじめに」を読んでみる。
2~3ページか、5~6ページくらいのものだろうと読み始める。
出かける用事があったので、「はじめに」だけパパッと読んでおこうと思ったのだ。
ところがいつまでたっても終わりがこない。
「はじめに」だと思っていたのは「序章」だった。
予告編だけ観るつもりだったけど、本編が始まっていたみたいな感じだ。
思わぬトラップ(?)に、危うく遅刻するところであった。

本書の内容はもうタイトルの通りなのだけれど、宇野氏が培ってきたひとりあそびの方法を具体例交えながら教えていくぜーというものだ。
〈「僕」自身のこと〉という項では、宇野氏は世間の言う「立派な人生」を送ることに興味がもてず、ひたすら自分の関心が「あそび」に没頭した経験を綴っている。

でもあのころ、僕は毎日がすごく充実していた。僕は京都の大学を出てから1年間ほど、ほぼ無職でブラブラしていた時期があるのだけれど、その頃が人生で一番楽しかったように思う。

宇野氏が以前、ポッドキャストで言っていたことで印象深いものがある。
「人間は後ろ向きにダッシュすることも必要。それが豊かさや多様さにつながってくる」というようなものだった。
それはひたすらゲームをしたり、アニメをみることに持てる時間のすべてを費やしたりと、何の目的も生産性もない、誰の役にも立たない行為をただただやるということ。
他人から見れば怠惰なだけの行い。
人生を前に進めるどころか後ろ向きに全力でダッシュしているような人が、あちこちにいることでで世界は多様になるんじゃないかと言っていた。
無駄を全力で肯定したい派の私からすれば、「後ろ向きにダッシュ」というこの言葉は金言に思えた。

宇野氏が本書で訴えているのも、つまりは後ろ向きにダッシュすることなのだと思う。
特にティーンエイジャーたちには、まだまだ無数の可能性が開かれている。
臆することなく走れるのだ。
後ろ向きに走った距離が長ければ長い程、前向きに転じたあとの距離も長くなる。
その距離の長さとは深みであり、彩りなのだろう。

本書の第一章では「走る」ことについて書いている。
ここでいう「走る」は、もちろん実際に自分の足で走ることなのだけれど、同時に比喩的にも機能している。

そして何度も街を走っているうちに、気づいたことがある。それは「走る」ことで、だんだんとふだん住んでいる街の見え方が変わっていくことだ。

走ることで見え方が変わる。
見える景色が変わる。
人生が変わる。


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