カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.8.23(水) 『現代アートを楽しむ』

雨。
掃除のNさんが来る時間を勘違いしていたため、外出の時間をずらす。
外出ついでにモスバーガーで昼食を摂る。
スパイシーモスチーズバーガーを注文する。
パテをダブルにすることも頭をよぎったが、日和ってしまった。
モスバーガーではオニポテセットではなく、オニオンリングを単品で注文する。
サイドメニューをセットで注文しないということは、すなわちドリンクも単品ということになり、経済効率的には良くないのだが致し方あるまい。
モスバーガーオニオンリングセットをラインナップに加えてほしい、というのは長年思っていることだ。
8番の番号札を受け取り席に着く。
提供待ちの時間は、本を読むのに最も適している隙間だと言っても過言ではない。
現代アートをたのしむ』を読む。
小説家の原田マハとキュレーターの高橋瑞木氏による、難解でとっつきにくいと言わる現代アートとの距離を縮めるための指南書。
芸術に造詣の深いふたりの対談を中心に、現代アートの楽しみ方が書かれている。
2年くらい前に買った本の出番がやっときた。
隣の席で繰り広げられる、マダムふたりの最近買った服の話を横目(耳?)にしつつ読み始める。 

 いってしまえば、アートは、人生における「無駄なもの」なのかもしれない。
 それでも、アートがある人生、あるいは関心をもつことができる人生は、アートがない人生を送るよりも豊かであると断言したい。

引用:『現代アートを楽しむ』「はじめに」より

無駄なものをどれだけ取り込んでいけるか。
それによって人生の豊かさが変わってくる。
私自身つねづねもそう思っていることもあり、のっけからいい出だしだなと思う。
隣から聞こえてくるブラウスがどうとか、スリット入りのなんちゃらがというワードも、アートのように思えてくるから不思議だ。

第一章では、指南書らしく、まずこの現代アートって何なのよという導入から入る。
この問いに対しては、専門家でも答えにくいらしい。
時代の区切りにしてもどこでどう区切るのかという問題もあるし、そもそも美術史自体、西洋を主体に考えられている点もある。
当然ながら西洋以外の地域にも歴史はあることを考えると、美術史や美術の概念自体も見直していく必要があり、そのことが現代アートの定義をむずかしくしているそうだ。
本書ではいったん、戦争が終わり、それまでの考え方を変えざるを得なくなった第二次世界戦後を現代アート、「コンテンポラリー・アート」の起点と考え、展開していく内容になっている。
さらに高橋氏は、こう続ける。

現代アートの定義が難しいという前提はあるけれども、私は現代アートを、「いま、自分が生きている世の中の複雑さを表すもの」だと思っています。

引用:『現代アートを楽しむ』

なるほど。
なんとなくぼんやり曖昧だった現代アートへの最初の扉が開かれたような思いだ。

読んでいるうちにハンバーガーが運ばれてきた。
モスバーガーを手を汚さずに上手に食べる方法を誰か教えてほしい。
そして最後にもう一度言うが、モスバーガー様はオニオンリングセットを作ってほしい。


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