カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2024.2.7(水) 選ぶ

大きな書店に行くと、自分以外にもお客さんがたくさんいて、そこにいる人たちは良くも悪くもone of them、自分にとっての風景となる。
なにもこれは本屋に限らず、あらゆる場所でそういうことが起る。
しかし、自分が営んでいる小さな本屋では、店内にお客さんと自分、一対一の空間になることが多い。
つまりお客さんは風景とはならない。
そして、ときに、その人の人生の一端が見えることもある。
小さな本屋だからこそ生まれうるコミュニケーションの中で、その人の抱えている悩みだったり苦しみだったりに触れることがあるのだ。
それはそうだ。
目の前にいる人は自分と同じ人間なのだから悩みのひとつやふたつあって当然である。
本屋という場所は、それを解決するツールの提供場所になりうる存在なのだからなおさらだろう。
とするならばお客さんが何十人も居合わせる大型書店だって同じことだ。
そこにいる人たちは風景なんかではなくひとりひとりの人間で、それぞれの生活、それぞれの人生がある。
ただそれが前面に出てこないだけで、ほんとうはいろいろあるのだ。
なんてことを本を選んでほしいと言ってくれたお客様を見送った店内で、ぼんやりと思っていた。

そしてこうも思う。
あの本で良かったのだろうかと。
自分が選んだその本は、あの方の期待に応えられるのかと。
期待以上のものを提供できているのだろうかと。
期待に応えられないだけならばまだいい。
本の内容如何では逆に傷つけてしまったり、傷をえぐってしまうことだってあるのだから。
だからほんとうにあれでよかったのかと何度も思い返す。
選書のむずかしさ、奥深さを感じる日々だ。