カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.10.21(土) 「三月十日」

太鼓の達人をやりたいと長男が言うので、長男と次男をつれてゲームセンターへ行く。
ふたりで1プレイ3曲ずつ叩いていた。
ドン ドン ドコ ドン ドン カッ カ。
クレーンゲームでぬいぐるみのゲットに失敗したあと、エアホッケーをやってゲームセンターを後にする。
次に向かったのは複合書店。
任天堂スイッチのソフト『あつまれどうぶつの森』を次男がマイナポイントで買う。
昨日発売したばかりのマリオのソフトがあったので、どうせならこっちにしたほうがいいのでは?と次男に勧めてみたが、そちらはクリスマスにサンタクロースへお願いするらしい。
「ずっと前からこれがほしかったんだよ」と固い意志は変わらなかった。
そんなにあつもりが欲しかったのかと少し意外だった。
どうでもいいが、「固い意志」と変換しようとしたら「固い石」にもなることを発見した。
家に帰ると次男はさっそくあつもりで遊び始めた。

昼ご飯を食べてしばらく休憩し、再び出かける。
目的地はエディオンスタジアム
サンフレッチェ広島セレッソ大阪だ。
長男、娘、私という珍しい組み合わせのパーティで観戦。
試合は0-0で引き分け。
点数のみならず、内容自体もみどころの少ない試合だった。

帰って来て、ジョギングに行こうかとも一瞬思ったが、疲労感もあり走っても不調に終わりそうだったのでやめた。

走る代わりに本を読んだ。
走ることも本を読むこともちょっと似ている。
一人でできるし、自分のペースでできる。
体力を使う点も似ているかもしれない。
そしてどちらも快感を伴う。

小川哲『君が手にするはずだった黄金について』の続きを読む。
連作短編のひとつ「三月十日」は東日本大震災の前日に何をしていたかという記憶をめぐる話だ。

 全員の話を聞き終えてから、僕は思いつきで「三月十日って何してたのかな」と口にした。三月十一日に何をしていたか、忘れてしまったという人には会ったことがない。友人たちの話を聞いてみても、みんな細部までよく覚えているな、と感心する。
 でも僕たちは、三月十一日とちょうど同じだけの時間、三月十日を生きていたはずだ。太平洋のどこかでプレートの歪みが大きくなっているのも知らず、僕たちは平凡な一日を過ごしていた。

出典:小川哲『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)より「三月十日」

たしかに私も三月十一日の記憶についてはそれなりに覚えているが、その前日のことはまったく記憶にない。
そこに着目して書かれたこの一編も面白かった。
早く先を読みたいけど、読み終えるのが惜しい、そんな小説だ。


f:id:cafeaulait-ice:20231022000654j:image