カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.21(木) 『自分疲れ』

本屋に行き、店主とおしゃべりして『プールサイド』を買う。
帰り道、先週、間違ってホットのラテを注文したスターバックスの前の道を通った。
ああ、先週間違ったスタバやな、と思った時には左折ウインカーを出していた。
そのままドライブスルーへ。
今日は間違いなく、スターバックスラテ、グランデ、アイスで、と注文できた。
ホットとアイスを間違えてしまう私には、あの呪文のようなトッピング増し増しの楽しみ方はできないのだろうなと思う。
せめてもの無念を晴らすためにスコーンも注文した。

創刊当初から気になっていた「あいだで考えるシリーズ」の『自分疲れ』を読んでみる。
自分とは何かを理解するにあたって、いったん自分を心と体にわけてみる。
そのとき心と体、どちらが自分と言えるのだろうか、という問いから始まる読み物だ。
文学作品を参照しながら考えて行くようだ。

 文学は、あるひとりの主人公についてくわしく書いてあることが多い。その主人公は、自分とはぜんぜんちがっていて、共通点がないことも多い。それでも、その主人公の体験や内面が細やかに語られていくと、なぜか共感したり感動したりする。
「ここに書かれているのは自分の気持ちだ」とさえ感じることもある。
 これが文学の不思議なところだ。個人的なことを突き詰めると、普遍性に到達する。

ここに書いてあることは、私が文学を好む理由でもある。
描かれる個の追求から立ち現れる普遍性とでも言おうか、そこに面白さを感じるのだ。
そこへ本書の命題も併せて考えるなら、「自分とは何か」に行き当たることになる。
解は出ないが、仮説の積み重ねが面白い。


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