カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.7.20(木) 「プールサイド小景」庄野潤三

昨日に引き続き、庄野潤三を読む。
短編集の表題作であり、芥川賞受賞作でもある「プールサイド小景」。
題材もテイストも昨日読んだ「舞踏」によく似ていて、夫婦の話だ。
庄野潤三の中心にあるテーマなのかもしれない。
読み終えた時のアンニュイな気持ちと、記憶にいつまでも残る鮮やかな情景とが入り混じって、後味の悪さをスッと引き取るところが絶妙だ。

主人公の青木弘男は織物会社で勤続18年、課長代理の役職もある会社員だ。
妻と二人の息子がいて、いわゆる幸せな家庭を築いているように見える。
「見える」というのがポイントで、青木は会社の金を使い込んでいたことが発覚しクビになる。
妻は何に使い込んだかを問いただすも、接待だと言う夫の回答に釈然としない。
妻は金を使い込んで夫がクビになったことに対してショックを受けるも、いったん落ち着くと今度は驚異を感じる。

すると、何の不安も抱いたことのなかった自分たちの生活が、こんなにも他愛なく崩れてしまったという事実に。彼女は驚異に近い気持ちを感じた。

しかし、もともと夫は勤直でも意志が強固なわけでもないし、物事を甘く見ている節があることに思い至り、どこか冷静であきらめのような感情を抱く。

そういう風に考えてみると、彼女は自分たち夫婦が今日まで過して来た時間というものが、まことに愚かしく、たよりないものであったことに改めて気が附くのだ。

テラスで黙って向かい合っていることに気が滅入ってきた妻は、あなたがよく行くバーの話をしてとさらに夫を促す。
当然ここには、バーにはどんな女の人がいて、どんな金の使い方をしていたのかという意味が込められている。
青木は通っていたバーのことを話し始める。
曰くそのバーは美人だが素っ気ない姉と、不美人でスローモーションの妹の姉妹で切り盛りしている店で、青木は姉目当てに通っていたと告白する。
一度だけ青木はその姉と夜の街をドライブしたことがあったが、それだけで、それ以来男女の仲になるようなチャンスはなかった。
その店には青木のように、姉目当てでやってくる連中が何人もいた。
そのような内容だった。
妻はこの話を聞いて、夫に女がいることを確信する。

 どうでもいいことは、全部さらけ出したかのようにしゃべる。そして、それらの背後に、男が針の先もふれないものがあるのだ。
 メデューサの首。
 彼女はそれを覗き見ようとしてはならない。追求してはならない。そっと知らないふりしていなければならないのだ。

さらに別の日、夫は違う話をする。
誰もいない朝のオフィスで感じる不安、何に対してかはわからないが抱いている怯え。
そこで妻は夫が会社勤めに対して感じていた不安や苦痛を知らなかったことに気づく。
夫が他に女を作ったのもそれが原因なのではないかと思い至る。

しばらくの休暇のあと、青木は近所の目もあるということで出勤を装い、毎日出かけるようになる。
妻は家で過ごしているが、今こうしている間に夫が見知らぬアパートの階段を上っているようなイメージに襲われ、不安な気持ちにに苛まれる。

一見、幸せそうに見える人でも、自分たちの依って立つ場所がいかに不安定な土壌の上にあるのかということを思う。
それは会社員の生活であり、夫婦あるいは家庭という場所であり。
70年も前の作品であるが、今あるものの脆さというのは、変わらないものなのだなと思ったりする。

そして、この話をサンドイッチするように、冒頭と最後に出てくるプールのシーンが印象深い。
冒頭では競泳の練習風景が描写され、最後ではひっそりと静まり返った情景が描写される。
今の季節によく合う余韻を与えてくれる。


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