カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.7.19(水)「舞踏」庄野潤三

ああ、私はこういう本を読みたかったんだ。
読み始めた時も、読み終えた時もそう思った。

 家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮のようなものだ。
 それは何時からと云うことなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。しかし、それはあたかも家屋の内部の調度品の一つであるかの如くそこにいるので、つい人々はその存在に馴れてしまう。それに、誰だってイヤなものは見ないでいようとするものだ。

庄野潤三の短編「舞踏」はこのような書き出しで始まり、次のように終わる。 

 夫は階下へ降りて行ったが、洗面所で水を浴びる音が聞こえた。妻は窓のそばに立って、またたき始めた星を見ている。子供は畳の上にうつ伏しになって寝てしまった。彼女は黙って空を見ていたが、夫が階段を上がって来る音に、ハッと我に返ったように手すりを離れた。

この間に何があるのかと言えば、夫の不倫がバレるという話だ。
ことさら大きな展開はないが、夫婦それぞれの視点から、感情の機微や流れる空気感が淡々とした筆致で綴られる中で、夫婦の危うさや家族のもろさがじんわりとあぶりだされていく。
繰り返しになるけれど、こういうのを読みたかったんだと思った。
ついにみつけたぞと。

主人公は市役所勤めの夫。
夫は同じ課の十九歳の少女と不倫関係にあり、役所での勤務を終えたあと、二人で映画を見に行ったり、デートしたりしている。
もう一人の主人公はその妻。
小さいときに両親を亡くし、彼女を育ててくれた祖母も結婚後にこの世を去っている。
夫婦には3歳の娘もいて、お互いのことを愛しているが、恋人ができてしまうことくらいよくあることで、人生なんてそんなもんだと夫は身勝手に思っている。
ある日夫が帰宅すると、机の上に妻から夫の不貞に気づいていることをほのめかすような手紙が置いてある。
夫は19歳の少女に思いを寄せる自分の心を、妙に勘のいい妻に見抜かれたことにぎくりとしながらも、手紙を破り捨てる。
妻は妻で、祈る思いで思いでなんとか書いた手紙を無かったかのように扱われ、心に影を落とす。
その日から夫はぼんやり過ごす日が続くし、妻は自分が夫を苦しめているような気がして苦しさを抱える。
互いになんとなくの行き詰まりを感じていた時にそれは起こる。
夫の帰りを待つ間に妻が、三分の一ほど残っていた夫のウィスキーを飲み干して倒れてしまう。
倒れている妻を発見した夫は、妻が睡眠剤を飲んで自殺を図ったと思い蒼白になる。
妻は事なきをえるが、そのときに夫の心に去来したのは妻がなくなった後、付き合っていた少女にも去られ、子どもを抱えて呆然とする自分の姿だった。
そしてそのエゴイズムにも気づかずに、妻を𠮟りつけたり、その後も少女とデートを重ねる様子が描かれ、読者としてはだんだんと妻が気の毒になってくる。

後半に進むにつれ夫婦の関係はどんよりとなっていくが、最後の場面でその暗い雰囲気が少しだけ反転する。
パリの夕陽を見ているような鮮やかさと、気怠い夏の夜の空気とがないまぜになったような余韻がずっと残っている。
求めていたのはこんな小説だとこの作品は気付かせてくれた。


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