カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.1(木) 「アーリオ オーリオ」

ここ数年で作った料理のうち、いちばん多いのはパスタのペペロンチーノだ。
かっこつけて言うならばアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。
きっかけはなんだったろう、忘れてしまったが自宅でペペロンチーノを食べたくなって作ってみたとかそんなところだ。
最初は失敗だった。
適当にゆでて適当に炒めてとやっていたら、にんにくも唐辛子も黒焦げ、麺もバリカタとんこつラーメンみたいなことになって、なんともいえない代物ができた。

こんなはずはないと、そこから研究が始まった。
ネット上のレシピを漁り、You Tubeで実際に作る様子を見た。
なかには葉加瀬太郎がペペロンチーノをつくる動画もあった。
いろいろ見ているうちになんとなく勘所がわかってきて、実際に試してみる。
見ては試して、試しては見てをしばらくやるうちになんとなくそれっぽくなってきた。
毎週毎週ペペロンチーノを作っては食べた。
トラットリアで修行するシェフみたいにフライパンを振った。
妻も子どもも、私の研究に付き合わされいっしょに食べた。
妻はなかば呆れていた。
家族の協力のおかげで、それなりに上達した。
子どもたちはパスタといえば父親の作るペペロンチーノだという認識で育った。
逆にミートソースやナポリタンは敬遠の対象となった。
これはこれで困ることも多々あって、なんだか申し訳ない。

最近は全盛期ほど頻繁に作ることはなくなったが、それでも2~3週間に1度くらいは、食卓に並ぶ。
今日がその日だった。
とりたてて特筆することはないのだけれど、塩加減なのか茹で加減なのか、今日のペペロンチーノは良くできた方だと思う。


ところで絲山秋子の「アーリオ オーリオ」はご存じだろうか?
絲山秋子芥川賞を受賞する前の作品『袋小路の男』に収録されている短編だ。
私がこれを読んだのは絲山秋子が2005年に芥川賞受賞してすぐの頃だったので、もう18年も前のことになる。
今年の初め頃、ふとしたきっかけで読み返してみた。

清掃工場に勤める叔父と中学生の姪が手紙をやりとりして交流する話だ。
叔父が姪をプラネタリウムに連れて行ったことがきっかけで文通がはじまるのだが、あるとき、姪っ子は手紙で新しい星を作ったと書く。

今日、私は新しい星を作りました。私だけにしか見えない星です。たったの3光日の距離にあります。名前はアーリオ オーリオ。

手紙が届くまでの何日かの時間を、星の光に喩えた姪っ子の感性に胸を打たれる。

3光日先の人を思う、あるいは3光日前の人を思う、尊さがそこにはあった。


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