カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.7.12(水) 「石うすの歌」、教科書クロニクル

教科書を発行している出版社、光村図書が「教科書クロニクル」という検索サイトを開設した。

教科書クロニクル | みつむら web magazine | 光村図書出版

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画像引用元:光村図書公式webサイト

 

生年月日を入力するだけで、当時使っていた国語の教科書を検索でき、収録作品の一覧が閲覧できる。
以前から教科書の表紙だけは公開してが、サイトのリニューアルにあわせ、楽しんでもらえるようにということのようだ。

早速検索してみた。
眺めていると懐かしさを覚えると共に当時の記憶も甦ってきた。
「6年 上 創造」に「石うすの歌」という作品が収録されている。
著者が壷井栄だったとは知らなかったが、思い出深い作品として心に残っている。

それは小学6年のとき、とある日の昼休みだった。
私に通う小学校では4時間目の授業が終わると、給食→掃除→昼休み→5時間目という流れだった。
その日の5時間目は体育で、掃除が終わったら昼休みのうちに体操服に着替え体育館で体育の授業が行われるはずだった。
だから私たちのクラスは任意で体育館で遊んだ後、そのまま体育の授業に突入しようとなった。
細かい事情は憶えていないのだけど、当時、昼休みに体育館が遊び場として開放されていた。

その日はみんなで長縄跳びをしていた。
長縄跳びと言えば先生が縄を回して生徒たちが跳ぶというのが通常のモードだ。
その時は珍しく、担任のN先生も跳び手として参加してみようとなった。
おそらく体育館には何人か先生がいて、人数的な余裕があったのだろう。
生徒たちの列に並んだN先生は張り切っていた。
いつもよりはしゃいでいるように見えた。
N先生は当時、40代の中盤から後半くらいの年齢だったと思う。
のちに教頭に就任したと聞いたので、優秀な先生だったのだろう。
怒ると怖いが、愛情にあふれたパワフルな先生だった。
N先生も私たちもとても楽しんでいた。
私たちは先生が跳ぶところを始めて見るので、わくわくしていた。
最初は誰もいない回っている長縄に、ひとりずつ順番に加わっていき、一列で跳び続けるという遊びだった。
ひとり、またひとりと順調に列はのびていき、N先生の番がまわってきた。
N先生は勢いよく走りだし、踏みきった。
その瞬間、N先生の叫び声が体育館に響き渡った。
N先生は倒れこみ、悶え始めた。
私たちはなにが起ったかわからず固まて、体育館は一瞬、静まり返った。
N先生の叫び声とともにブチっという音がしたことをなんとなく感じていた。
静寂のあと、みんな先生のもとに駆け寄り大丈夫かと介抱がはじまった。
その場にいた先生は他の先生を呼びに走った。
N先生はそのまま病院へ運ばれていった。
肉離れだった。
N先生は張り切って長縄に参加した結果、一跳びもすることなく肉離れを起こした。

翌日、先生は松葉杖をついて学校にやってきた。
しばらくのあいだ、1階の図工室が私たち6年3組の教室となった。
先生の足が治るまでのあいだ、私たちは図工室で過ごした。
図工室で授業を受け、図工室で給食を食べた。
私たちにとっては学校という日常の中に、突如生まれた非日常の空間だった。
新鮮な体験だった。

そのときに国語の授業で扱っていた題材が「石うすの歌」だった。
話の筋はあまり憶えていないので、あらすじをWikipediaから引用したい。

瀬戸内の田舎に住む千枝子は祖母とともにお盆の準備に大忙し。特に団子やうどんを作るための石臼を引く作業が嫌だった。石臼のリズムで眠くなるためだ。しかし祖母は言う。石臼は「団子がほしけりゃ臼回せ」と歌っているのだと。自分をやる気にさせるための調子のいい冗談だと千枝子も解っているが、言われてみると、ついつい千枝子は重い石臼の取っ手に手をかけていた。
その中で広島にいる従妹の瑞枝が疎開のために里帰りするという。妹同然の瑞枝がやってくることに千枝子は大喜びして、さらに祖母と共に石臼を回す手に力を込めるのだった。
やがて八月となり瑞枝が母親(千枝子の義理の伯母)と共に家にやってきた。母親は瑞枝を置いていくと、ほかの家族のためにすぐに広島へと戻る。
数日後。盆の十三日を迎えた祖母の前には物言わぬ石臼の姿があった。石臼はもう歌わない。祖母は石臼を歌わせる力を無くしてしまったのだ。そんな祖母に千枝子は祖母の代わりに自分が石臼を歌わせる決意を固める。そんな千枝子の姿に瑞枝もまた共に石臼を引くと申し出る。
石臼は歌う。
「勉強せぇ。勉強せぇ。つらいことでも我慢して……」

引用元:Wikipedia

内容は憶えていないのだが、主人公の千枝子が石臼をぐるぐると回している場面だけはなぜか深く印象に残っている。
図工室の大きな木の机とだだっ広い創造的な空間に、石臼という個風なアイテムのアンバランスなイメージが妙にリアルに思えた。
そして最初は嫌がっていた臼引きの作業を、自らすすんでやりはじめる主人公姿に不思議な感動を覚えたのだ。
残り僅かな小学校生活と図工室での非日常性の中に、石臼の音と歌が響いてくるるように感じた。

その後、先生の脚は順調に回復し、しばらくの期間を経て完治した。
私たちの学び舎は、再び元の4階の教室に戻った。
やがて小学校を卒業した。

先生が縄跳びで肉離れになったことは、今でも語り草となっている。