カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.7.11(火) 「目玉の話」

卵を自分の尻で割ったことがあるだろうか。
私はない。
なかったとしたら想像してみてはどうだろうか。
どうやって自分の尻で卵を割るだろう?
卵を地面あるいはイスに設置してみる。
割ることが目的なのである程度勢いをつけてえいっといく。
地面ならば尻もちをつくように、イスならばおもいきって座ってみるのもいいだろう。
そんなに難しくはなさそうだ。

ここにひとつの短編小説がある。
フランスの思想家、ジョルジュ・バタイユ著「目玉の話」。
語り手である主人公の「私」は16歳になるころ、同じ年頃のシモーヌと知り合い仲を深める。
シモーヌが熱中した行為を描写した一節を紹介したい。

このころから、シモーヌは自分の尻で玉子を割るという奇妙な遊びに熱中しはじめました。そうするためには、低い肘掛椅子の座席に頭を載せ、逆さになって背中を椅子の背もたれにあずけ、脚を曲げます。その脚に接して私が椅子の後ろに立ち、彼女の顔に精液をかけるために自慰をするのです。それから、私は穴の上に玉子を載せ、シモーヌは深い割れ目のなかで、玉子を動かして楽しみます。精液がほとばしる瞬間、彼女は玉子を割って絶頂に達し、私は彼女の尻に顔をうずめて、あふれる液体で顔じゅうを汚すのでした。

引用元:バタイユ「目玉の話」(光文社古典新訳文庫)

トリッキーすぎやしないか。
私の想像力では一生かかっても到達できないやりかたで、シモーヌは自分の尻で卵を割るのである。
かろうじてイスを使うという点だけは同じだった。

そもそもこのシモーヌ、なかなかにおてんばというか奔放というか、エネルギーが凄まじいのだ。
そして椅子を巧みに使いこなす。
あるとき、猫にミルクをあげるための皿をみつけたシモーヌは「私」に賭けをもちかける。
お皿に座れるかどうかと。
できるわけないと言う「私」にシモーヌは答えてみせる。

とても暑い日でした。シモーヌは小さな木の椅子に猫の皿を載せ、私の目を見つめたまま、そこに腰をおろしてゆき、ミルクのなかにお尻をひたしました。私はしばらくは体を動かすこともできず、頭に血がのぼり、震えていたのですが、彼女のほうは、わたしのものがズボンのなかでつっぱるのを眺めておりました。

なんとも官能的に座ってみせるのである。
ちなみに本書では性器のことを「尻」と呼んでいる。

「尻」という言葉を私とシモーヌはよく使いましたが、当時の私にとって、これは性器を意味するいちばん魅力的な言葉に思われました。

ということは、冒頭の尻で卵を割るというのも、性器で卵を割るということだったことに気づいて、なおのことたまげてしまう。
ともかくこの短編、尻がたくさん出てくるのだ。
まだ途中までしか読んでいないが、わずか17ページほどのあいだだけでも尻だらけ。
シモーヌは尻を出しっぱなしで話が進んでいく。
タイトルも「目玉の話」ではなく「尻の話」のほうがふさわしいように思えてくる。
このさきいったいどうなるのか。


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