カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.5.5(金)『電車の中で本を読む』、無人島おはぎ問題


f:id:cafeaulait-ice:20230506014942j:image
もしも無人島にひとつしかおはぎを持っていけないとしたら、どれを選ぶだろうか。
今日はそんな問いから始めてみたい。

直感的に選択肢は2つまで絞られる。
こしあんかきなこか。
これが究極の選択でなければ、つまり今日これから食べるおはぎをひとつスーパーで買うということであるならば、きなこを選ぶだろう。
単純にきなこのおはぎが好きということだ。
しかし、無人島で唯一食べられるものを選ぶとなると慎重にならざるを得ない。
まず無人島に飲める水はあるだろうか。
もしないのだとしたらきなこはちょっと厳しいんじゃないだろうか。
水分なしで飲み下すのは相当な困難に思われる。
ましてや無人島だ。
無人島にだって季節はあるはずなのに、なぜだろう、決まって思い浮かぶのは夏だ。
燦燦と照り付ける陽射しに私の身体は耐えうるだろうか。
水は重要なファクターとなりそうだ。
よしんばあったとして、日々の糧がきなこのおはぎだったとしたらどうだろう。
仮説として飽きるということが考えられはしないだろうか。
確かにきなこのおはぎは美味しい。
もふっとかじったらごはんがあって、そのさらに奥に潜むあんこまで到達した時の高揚は、なにものにも代えがたい。
しかしそれはいわばハレとしてのおはぎであって、毎日の暮らしという観点でみたときにきなこは余りあるんじゃないだろうか。
一方こしあんの方はどうだろう。
できるだけ甘さを控えた素朴な味のこしあんを想像してみる。
そのなめらかで上品な佇まいは、代り映えのない毎日にそっと寄り添ってくれそうだ。
こしあんだったら毎日食べてもいけるんじゃないかという気がしてくるから不思議だ

そう考えると、無人島にもっていけるおはぎを選ぶとしたらこしあんということになりそうだ。
だがしかし、早急に答えを出す必要はないだろう。
来るときに備えての暫定的な解として留めておくくらいがちょうどよい。
そのときが来たらまた考えたらいい。
大事なのは考える時間だ。
5月5日、端午の節句の今日、こんなことを30分もかけて考え込んでしまった。
時間はもっと有効に使った方がいい。

さて今日は島田潤一郎著『電車の中で本を読む』を読んだ。
ひとり出版社の夏葉社を運営する著者が、これまで読んできた本を自らの体験を交えながら紹介するエッセイだ。
そのなかで、小説を読む子との価値について言及している。
それは「豊かな時間」だという。

 いま生きている時間とは違う時間を経験したいから、ぼくたちは本屋さんで本を買うのです。本を通して買っているのは、知識ではなく、ノウハウでもなく、時間です。豊かな、たっぷりとした時間。
 それが現代では、とっておきの贅沢になるのだと思います。
引用元:『電車の中で本を読む』

無人島おはぎ問題を考える時間があるならば、本を読めばよかったと後悔する、そんな夜もある。


f:id:cafeaulait-ice:20230506015001j:image