カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.4.27(木) 『ごろごろ、神戸。』

私にとっての神戸といえば、パイ山だった。
阪急三宮駅の東口を出ると広場があって、お椀のような形の、石でできた山が3つ配置されていた。
形がおっぱいに似ているのでパイ山として親しまれ、待ち合わせや、だらだらたむろするのに使われる賑やかな場所だった。
現在は駅周辺の再整備により、いったん閉じられた広場はリニューアルされ、パイ山はもうなくなってしまったらしい。
学生時代を兵庫県で過ごした私は、三宮に出かける機会も多く、サークルの行事においても集合と解散の場所はパイ山だった。
マクドのポテトを食べ、ハーゲンダッツを食べ、またポテトを食べ、待ち時間をやりすごす。
パイ山に集い、パイ山で別れる。
20歳そこそこの若者にとって、パイ山こそが人生のように思えた。
そういうわけで私にとって神戸とはパイ山のことなのだ。

そんな私に『ごろごろ、神戸。』は違う神戸を教えてくれる。
著者の平民金子氏は、東京でネット上に日記を書きながら暮らしている折、ある日読者に神戸の街を案内してもらう。
「その日見たすべてに鳥肌が立ってしま」った平民金子氏は、神戸に住みたいと考えるようになる。
子どもが生まれるという環境の変化のタイミングを引っ越すチャンスと捉え、勢いで物件を決め神戸に越してくる。
ベビーカーをごろごろ押しながら街を歩き、そこで見た神戸を記録した、ぐいぐい読ませるエッセイだ。

ここで描かれるのは、私の知るパイ山的な神戸ではないし、一般的なイメージの異国情緒に溢れたお洒落で洗練された神戸でもない。
昔ながらの市場や商店街、哀愁漂うちょっとくすんだ風景、日常に根差した神戸の街がある。
それが単なる街歩きというわけではなく、育児と掛け合わされ、淡々と紡がれる文体と、時折はさみ込まれる丁寧なボケもあいまって、独特の風情を出しているところが面白い。

どうせ出来ることは限られているのだから、ここは背伸びをせず缶チューハイ片手にベビーカーをごろごろ押し歩き、ささやかな地図を描いて行こう。足元にある生活をこつこつと見つめていく事で、華やかな神戸とはまた違った町の姿が立ち現れることになればおもしろい。

パイ山以外の神戸を歩いてみたくなった。


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