カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.4.7(金) 『からだの美』『ワインズバーグ、オハイオ』


二日間降り続いた雨があがった。
今年の桜はほとんど散った。
葉桜の季節に私は誰を思うのだろうか。

新学期が始まり、靴がぐしょぐしょになった息子からコインランドリーで洗ってきてほほしいと頼まれる。
コインランドリーの待ち時間は、本を読むのにちょうどよい。
洗濯機にかける20分と、乾燥機にかける20分。
2冊用意した。

 

小川洋子の随筆『からだの美』。
これまでの小説の中でも、身体の細部へのこだわりをしつこいほどに描いてきた小川洋子が、その美しさと不思議を書いた16篇。
「外野手の肩」ではイチローの肩を書く。

肩こりや五十肩。肩について小川が抱いていた消極的で地味なイメージが、イチローの守備によってくつがえされる。

強肩とは、体から発せられるあらゆる力の、滑らかで精密な連携である、と証明しているようだ。

ひとつの芸術として描かれるレーザービームと肉体美。
スタジアムもひとつの博物館と見立てるならば、ふだんは見過ごしている何かが見つかるのかもしれない。

 

昨日に引き続き、『ワインズバーグ、オハイオ』の2篇目の短編を読む。
タイトルは「手」。
こちらも身体がモチーフとなっている。
ふだんは無口の主人公の男は、町で唯一の親しい友人にしゃべりかけるとき饒舌になる。そのときの彼の手つきは表情豊かだという話。

ウィング・ビドルボームは両手でたくさんのことをしゃべった。その細くて表情豊かな指、常に活動的でありながら常にポケットのなかか背中に隠れようとする指が、前に出て来て、彼の表現の機械を動かすピストン棒となる。

彼もまた痛みをもった人間であり、過去の話が明かされることになるが、なかなかに悲劇的だった。
表情豊かな手とその過去の経験とを照らし合わせてみると、そのちぐはぐさが胸に迫ってくる。
心を許せる友人がひとりでもいてくれてよかったと思う。

コインランドリーの駐車場でじっと手をみる。
体というのは、ただそこにあるだけでいろいろなことを物語る雄弁な器官のだとぼんやり思う春の宵であった。