カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

モラトリアム油そば

昨日のことだ。
僕は自宅で仕事をしていた。
昼食は13:00~14:00のwebミーティングの後に摂ることにした。
さて、いざキッチンを物色してみるも、四月の初めの金曜日にふさわしい食材が何もなかった。
そこで食を外に求めた。
四月になって気温も上がってきたとはいえ、風が強く空気は少し冷たい。
暖かいとも寒いとも言えない感じが、春らしくて気持ちがよかった。


近所に油そば屋があることを思い出した。
今の家に越してきて6年ほど経つが、歩いて5分のその店にはいまだに一度も行ったことがない。
こういう場合、結局その店を訪れる前に、次の引っ越しがやってくるか、閉店してしまうかのどちらかが相場だ。
過去の経験から学んだことだ。
「いつか行こう」の「いつか」は永遠にやってこない。


そういうわけで、その油そば屋に行ってみることにした。
店に入って驚いた。
時刻は14:00過ぎだというのに、10席ほどのL字カウンターと2つあるテーブル席はほとんど埋まっている。
動揺した僕は出直そうかと思ったが時すでに遅かった。
明るく気立ての好さそうな店員さんに「そちらで食券をお願いします!」と言われ、反射で「はい」と答えてしまった。
仕方なく——仕方なくもないのだけれど——食券を購入した。


カウンター席に案内され、動揺をさとられないように水を飲んだ。
そして考えた。
なぜこの店にはランチタイムを大幅に過ぎたこの時間に、こんなに客がいるのか。
答えはすぐにわかった。
というか最初からわかっていた。
大学生だ。


僕の家の近所には大学がある。
大学がある場所にはたいてい、学生向けの店がある。
大学の規模自体は小さいし、立地もどちらかというと郊外だから店の数自体、そんなに多くない。
けれども、だからこそ、その数少ない店に学生が集まりやすいというのは単純な理屈だろう。
この油そば屋もそういう店だった。


郷に入っては郷に従え。
ということで僕はその店にいる間、大学生として振る舞うことにした。
昨日、僕は14年ぶりに大学生となり油そばを食べた。
店にいた彼/彼女らの目にどう映っていたかはわからない。
そもそも、大学生的な振る舞いとはなにか。
正解があるのかないのか。
無数の疑問が湧いてきたが、どう考えても答えは出せなかった。
けれども僕は、履修する授業のこと、サークル活動、旅行の計画、恋の行方、そんなことに思いを馳せながら麺をすすった。
そして最後にもう一度水を飲み干して店を出た。


我ながらうまくやったと思う。
完璧ではなかったかもしれない。
だけど村上春樹風にいうなら、完璧な大学生など存在しないのだ。完璧な絶望が存在しないように。
なんにせよ僕はモラトリアムを演じきったのだ。


その大学は坂の上にあって、僕の家はその坂道から少し入ったところにある。
帰り道、大学へ続く坂の上からたくさんの人が歩いてくるのが見えた。
何かと思えば、今日は入学式だったようだ。
真新しいスーツに身を包んだ新入生たちが、列をなして駅へと向かっている。
これから始まる新生活への期待にどの顔も輝いていた。
時の流れはいつだって残酷だ。
14年ぶりの大学生を演じてきたばかりの自分が少し恥ずかしくなった。
完璧な大学生はいた。
遠くに見える桜の樹は満開で、彼らを祝福しているようだった。