カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

リプトンミルクティーのこと

リプトンの話をしよう。
僕がまだ大学生の頃の話だ。

当時、付き合っていた彼女は、学校から電車で1時間以上かかる実家から通っていた。
一限の授業に出るためには、とんでもなく早起きをしないといけないとよくぼやいていた。
そんなわけで彼女は、学校の近くの僕が一人暮らしをしてるアパートに寝泊まりするようになった。

僕たちは夜になるとよくコンビニまで散歩をした。
買うものはだいたい決まっていた。
僕がカルビーの堅揚げポテトチップスとピルクルで、彼女はプリッツとリプトンミルクティーだった。

リプトンの紙パックにはシールがついていて、そのシールを剥がすと10桁くらいの数字が印字されていた。
指定のサイトにアクセスし、数字を打ち込むと、プレゼントが当たるという趣旨のものだった。
当たりは確か、500mlのパックのミニチュアのストラップだったと思う。
外れても何通か応募すれば、待受画面かなにかがもらえたような気がする。
どちらも曖昧な記憶ではあるが。

ある時彼女は、プレゼントに応募したあと、シールをテーブルに貼り付けた。
取り立てて特徴もないこたつテーブルの、天板と脚の間の横長のスペースに。


その次の日もリプトンを飲んで、昨日のシールの下に貼り付けた。
そのまた翌日もシールを貼り付けた。今度は最初に貼ったシールの隣に。
そういった具合で、毎日リプトンを飲んではシールを貼り続け、テーブルの横面を埋めていった。
シールがテーブルを一周すると、こんどは脚の部分にまで範囲を拡大した。
そして脚の部分も埋め尽くされるのは当然の成りゆきだった。
シールの柄は何種類もあって、茶色の地味なテーブルは色とりどりのシールに彩られた。

大学を卒業するタイミングでテーブルは処分した。
確か後輩に譲ったと思う。案外しっかりとしたテーブルだったので感謝された。


僕がリプトンについて語るときに思い出すのは、あのシールのことであり、コンビニまで散歩したあのいくつもの夜たちのことだ。


彼女は元気にしているだろうか。
きっとリプトンミルクティーが終売となったことを、どこかで嘆いていることだろう。
もしかしたら僕と同じように思い出しているかもしれない。
あのシールのこと、あの日々のことを。

一日一枚のシールが何の変哲もないテーブルをカラフルに変えたように、なんてことはない一日の積み重ねが普通の日常を彩っていく。そして気づくのはいつも後になってだ。そんなことを思うのである。