カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

ピピア売布で映画を観たこと

ピピア売布で映画を観たのは、いくつかの偶然が重なったからだった。
ピピア売布は僕にとって特別な意味を持つ、忘れられない映画館となった。

 

その日、4限目の空き時間をつぶすのが億劫だったため5限の授業をサボることにした。
3限が終わり教室を出たところで、Mに電話した。
「どうしたん?」
「5限が休講になったから駅まで一緒に帰ろうと思って。今どこ?」
「B号館出たとこ」
「俺Fのとこやから、門で待ち合わせで」
3限の授業が終わると、一時間半、電車を乗り継いで地元の居酒屋でバイトというのが月曜日のMのスケジュールだった。
大学の近くで一人暮らしをしていた僕は、普段は自転車で通学していたが、その日は朝から雨が降っていため歩いて来ていた。
雨は午前中には止み、遠くに晴れ間が見えていた。
大学から駅までの下り坂をMとゆるゆる歩いた。
Mとの交際が始まって、ちょうど2ヶ月になろうとしていた1月のことだ。

 

駅に到着したところで別れるはずだった。
Mは電車で地元へ帰り、僕は1駅分歩いて帰る。そのはずだった。
Mはその時、つい最近観た映画の話をしていた。
駅に着いても話が終わらず、しかたなかったので僕は1駅ぶんの切符を買い、1駅ぶん電車に乗ることにした。
Mの話を聞いているうちに、その映画をを観たくなっていた。
ハウルの動く城』だった。
Mはキムタクの声が意外と良かったと言っていた。
ホームで電車を待っているときに、Mにバイト先から着信があった。
「今日バイトなくなったわ。店長がシフトに人を入れすぎとってんて」
電話を切るとMはそう言った。
「暇になったわ。どこか行く?」と聞かれたので、
ハウルしかないな」と答えた。
「もっかい観るのもありやな」
Mもノッてくれた。
「ここから一番近い映画館はどこやろな」
ケータイで検索して出てきたのが「ピピア売布」だった。

兵庫県宝塚市阪急宝塚線売布神社駅の駅前にある公益施設がピピア売布。
その中に入っている小さな映画館がシネ・ピピアだ。
スクリーンの数は2つ。
webサイトを見る限り、映画館というよりも公民館という印象を受けた。
付き合いはじめの男女が初めて映画を一緒に観る場所として一抹の不安を覚えた。
しかしこんな文言が目に留まった。

特別料金500円。


その日は2005年1月17日、阪神・淡路大震災からちょうど10年となる日だった。
僕たちは何か運命めいたものを感じずにはいられなかった。

 

僕は福岡で生まれ育ち高校を卒業後、兵庫県の大学に進学した。
一人暮らしができればどこでもよかった僕は、キャンパスの美しさという一点の理由だけで進学先を選んだ。
閑静な住宅街の中に佇む緑豊かなキャンパス、海と山に囲まれ異国情緒も溢れる神戸の街、青春を謳歌する学生、見るものすべてが美しく映った。
それと同時に、震災から10年が経過した当時の神戸やその周辺の街には、震災の癒えきれない傷跡もまだまだあった。
鎮魂のイルミネーションイベントのルミナリエを知ったのもその頃だったし、出かける先々でモニュメントや慰霊碑を見かけた。
所属していたサークルの部室(ボックスと呼んでいた)には一枚の写真が貼ってあった。サークルメンバーの集合写真で、その中央に写る人は遺影を抱えていた。
神戸に住んでいた友人は、震災が起こった日の朝、わけもわからないまま小学校に登校した。登校してきたのは自分ひとりだけで、すぐに帰されたと言っていた。
仮設住宅での生活を余儀なくされ、あの時は何もかもが恨めしかったと語る友人もいた。
僕はこの街に来てはじめて、地震がほんとうに起こったことなんだと感じた。
何も知らなかった自分を恥ずかしく思った。

 

映画館に向かう電車の中で、Mは震災当日のことを振り返り話してくれた。
大阪のMの家もかなり揺れたそうで、Mの母親は姉弟三人に毛布をかぶせて上から覆いかぶさって守ってくれていたこと、父親は箪笥が倒れてこないように抑えていたこと。
自分の感じた揺れは未体験の大きさで恐怖を感じたこと。
だけれども、テレビで被害状況を見ても、小学生の自分には事の大きさがよくわかっていなかったこと。
Mも僕と同じように、神戸に近い大学に通うようになってはじめて実感として伴ってくることもあったと言っていた。

 

ピピア売布はとてもいい映画館だった。
最初の印象通り、公民館のようなたたずまいでこじんまりとしていたが、随所に温かみを感じるシネマだった。
座席の数は50。
シネコンの一番小さなスクリーンよりも小さいだろう。
しかしその空間は決して狭くはなかった。むしろどこまでも広がる小宇宙のように感じられる心的な奥行きを持っていた。
シートの座り心地も良かった。
ほかのどの映画館でも感じたことのない包容力があった。
快眠をもたらしてくれそうだと思った。
その日は特別上映日ということもあり、常設シートのほかにパイプ椅子も並べられていた。
そのアットホーム感がたまらなかった。
知る人ぞ知る映画館をみつけたような気がして得した気分にもなった。

のちに知ったことだが、このピピア売布は震災復興事業として建設されたもので、シネ・ピピアは宝塚市が設置する全国的にも珍しい公設民営の映画館だった。
シネ・ピピアの公式webサイトにはこんなステートメントもあった。

映画は娯楽であるとともに文化です。また世界と接する窓でもあります。世界中の多様な優れた作品を見ることで、逆に私たち自身を見つめ直し、真の豊かさとは何かをともに考えてゆきたいと思います。


まさに僕はシネ・ピピアでの映画鑑賞を通して、神戸の街について、震災について考え、自分自身を見つめ直す機会になったように思う。

 

そんな日に観た『ハウルの動く城』はとても示唆的に思えた。
生きることの美しさを感じる映画だった。
ストーリーはもちろん面白かったし、どのキャラクターも魅力的で風景も綺麗だ。
城、魔法、がらくた、火、案山子、鏡。
登場するアイテムのどれもが隠喩に満ちていた。
劇場の空間も相まって、真の豊かさを考えるには申し分のない映画体験だった。

僕は映画を観ている最中も、そのあとも震災について考えていた。
おそらく宮崎駿はこの作品と震災とのあいだになんらかの関連性を持たせたわけではないと思うし、僕自身もこの映画の中に震災的なものを見出したわけではない。
ただ震災とそこからの回復についてぼんやりと考えていたということだ。
時と場所がもたらした偶然のものとして。

印象に残ったもののひとつに、火の悪魔カルシファーがある。
主人公ハウルの心臓をもらう代わりに、ハウルと動く城に魔力を差し出す契約を交わしたカルシファーは、作中なんども消えそう(消されそう)になる。
終盤、ヒロインのソフィーがカルシファーに水をかける場面もあるが、それでもカルシファーは消えることはない。
そもそもカルシファーは暖炉で燃えている火だ。
暖炉はを人の心も身体も温めてくれる。
絶えることなく燃え続ける炎は、命の尊さ、強さ、美しさ、あるいは儚さを暗示しているようだった。

「そういえば今日、うちのおかんの誕生日やねん」
帰り道、Mは唐突にそう言った。
たまたま震災の日やから覚えやすいやろ、と。
確かにその通りで、いまだに1月17日が来ると震災とハウル、そしてMのおかんのことを思い出す。


もうひとつ、印象に残っているセリフがある。
ハウルの弟子、マルクルがソフィーと買い物をする場面で、
「わしは芋は嫌いじゃ」
という。
なんともかわいく思えて、よく二人でふざけて物まねをした。
芋の入った料理を食べる時、マクドでポテトを食べる時、合言葉のように「わしは芋はきらいじゃ」と言っていた。
そんな日々ももう18年も前のことだと思うと、老いを感じてしまうのも無理はない。
けれども老いに抗うことが必ずしも良いことではないと、あの日ハウルは教えてくれた。


ピピア売布で観た映画のことを一年に一度思い出しながら、僕は歳を重ねてゆくことだろう。
そんなふうに思うのである。

せっかくなので今夜の献立はジャガイモを使ったものにしてみようかと思う。
ポトフか肉じゃがにポテトサラダ。
マクド買ったポテトを添えてもいいかもしれない。
全然さりげなくもないが、さりげなく食卓に並べてみるのだ。
18年振りの「わしは芋は嫌いじゃ」を期待して。
そして義母にメッセージを送ることも忘れてはならないだろう。
誕生日おめでとうと。