次男がクオカードでお菓子を買いたいと言うので、コンビニへ連れていく。
前回はファミリーマートだったので、今回はセブンイレブンへ。
グミやチョコレートなど800円分くらいのお菓子を買う。
買いすぎなのではと思ったが、自分のクオカードなので何も言わず見守る。
満足そうであった。
スーパーにも寄って、麺を調達する。
そばとうどん。
家族はうどんで、私はそば。
またそばを食べている。
平日も週末もそば。
秋、そばにいるよ。
昼は長男と次男を習い事へ送る。
帰りに近くのショッピングモールで某展示即売会をやっていたので、コースターを買う。
みつけるとついつい買ってしまうもの上位にランクインするのがコースターだ。
今日は浮世絵コースターを見つけた。
子どもたちが帰ってくるまでのあいだに肉じゃがをつくる。
妻が迎えにいき、子どもたちが帰ってくる。
友だちが遊びにくるというので出かける。
本屋に行く。
やっとのことで『奇奇怪怪』を手に入れる。
青い。
喉が渇いてしまったので、ミスタードーナツに寄る。
手ごろな店がここしかなかった。
ドリンクだけ頼むのもあれだったので、ドーナツもひとつ食べる。
空腹だったわけではないので、重たい。
隣の席のゴルフ帰りらしき50代くらいの男女の会話がうるさい。
うるさいというのは完全に主観なのだけれど、まあなんというかうるさい。
本を読んでいたが、頭に入ってこないので適当に切り上げる。
帰宅して夕食の肉じゃがを食べる。
食後に『掠れうる星たちの実験』最後の一編「フィリフヨンカのべっぴんさん」を読む。
この作品はアンソロジー『文学2022』にも収録されていて、そちらで読んだことがある。
つまり再読となる。
主人公の「私」は亡くなった叔母の遺品のなかに、スーパーのシール台紙をみつける。
シールを集めると、ムーミンのグッズが割安で買えるキャンペーンだとわかる。
「私」は残りのシールを集めながら、叔母が何をかおうとしていたのかを考え、周囲の人に聞いて回る。
結局わからないままキャンペーンの最終日を迎え、タオルを買うことにする。
余った5枚のシールは持ち帰った。
こうやって書いてみると、なんてことないのだが、ここで描かれる叔母との関係性や「私」の心情からしみじみとしたものが伝わってくる良い短編だ。
叔母と私は、本やマンガの貸し借りをしながら、いつしか一切の感想を言い合わなくなった。時間をおいた会話の弾みで、登場人物の名前が出たり台詞が差し挟まれたりして、きっちり読んだことが知れるだけ。そういう日のことを、叔母は良き日と言ったことがある。まだこの秘匿の作法に納得のいってなかった私に向かって「良き日が来るから」と、はぐらかすように。
引用:乗代雄介『フィフリヨンカのべっぴんさん』
一人きりで読み、一人きりで考える、それだけのためなのか。もちろん私は、その良き日がどんなに素晴らしくて誇らしいものかを知っている。たくさんの良き日を夢見て何度もこの部屋を訪れては、リュックいっぱいに本を詰め、こそ泥みたいに階段を下りて行ったのだから。そして良き日は、叔母との日々のうちに神経衰弱のカードがめくられるように次々と訪れたのだから。
引用:乗代雄介『フィフリヨンカのべっぴんさん』
そういえば今日、石原書房、石原さんのnoteを読んだ。
石原書房といえば今年設立された一人出版社で、『奇奇怪怪』の版元だ。
noteには独立の経緯や『奇奇怪怪』出版への思いが熱く語られていた。
石原さんが独立前に所属していた出版社が国書刊行会で、『掠れうる星たちの実験』は国書刊行会から出ている。
そしてその『掠れうる星たちの実験』を編集したのが、石原さんだ。
今日はなにやら石原さんづいてる日となった。