カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

おでん

目が覚めると、おでんの中にいた。
具材はまだない。
だからおでんの出汁の中にいた、というのが正確なところか。
まっさらなおでん、と言い換えることもできよう。
白紙の状態。
何を描いたっていい。
昆布と鰹節の香り、そして無限の可能性。
目の前に広がる自由を感じていた。
これからきっと、いろんな具材が放り込まれてくるだろう。
その中で僕はどのように振る舞い、どのような道を選ぶのか。
不安がないと言えば噓になるし、かといって悲観はしていない。
元来、前向きな性格なのだ。
とにかく僕は日曜の朝、おでんの中にいた。

まず飛び込んできたのは、牛すじだった。
串に刺さっていないタイプの牛すじたちがごろごろと転がり込んで、鍋の底は埋め尽くされた。
まさか最初にこれだけの量の牛すじがやってくるとは思っていなかったため、しばらくは動くことができなかった。
ただただ立ち尽くすばかりで、自分の無力さを再認識することとなった。
大量の牛すじを眺めているうちに、ぼーっとしてきた。
遠のいていく意識の中で、今日の夕食はおでんだろうか、あぁ辛子を買い忘れた、そんなことを思った。

はっ。
視線を感じて目を開けると、大根が僕をみつめていた。
綺麗に面取りされた顔で、静かにほほ笑む大根に安心感と懐かしさを覚えた。
「どこかでお会いしましたっけ?」僕は訊ねた。
「えぇ。あなたのことはいつもそばで見ていました。概念的な立場から見ていました。今日こうして、実際にお目にかかることができて、とてもうれしい」
「あぁそうだったんですね、どうりで」
「はい。あなたがそう感じているように、わたくしも心強く思っていますの」
大根はそう言うと、目を閉じて鍋の底へ沈んでいった。
我は彼、彼は我なり、春の宵。
そんな句を思い出した。

次にやってきたのは玉子だ。
ぼんどぼんと立て続けに投下された玉子たちは、湯上りのようなつるつるとした肌を輝やかせている。
五つの玉子は、あらかじめ持ち場が決まっているのか、寄り道することなく、すっと所定の場所に落ち着いた。
上から見ると五芒星の形をしていた。

牛すじ、大根、玉子。
最初にやってきた三種の具材によって、すでに鍋は満杯の様相を呈している。
この鍋にはこれ以上、入る余地はないんじゃないかと思っていると、こんにゃくが降りてきた。
「心配することはない。君が思っている以上に、おでんは開かれている。世界は広い」
こんにゃくがそう言って通り過ぎていった。
そこからはすぐだった。
こんにゃくをかわきりに、ちくわにきんちゃく、さつまあげ
厚揚げ、じゃがいも、がんもどき。
ありとあらゆるおでんが、おでんじゅうのおでんが降り注いできた。
いつまでも降りやまないおでんに、なす術がなかった。
積みあがっていくおでんの前では、すべてが無力だった。


どれくらいの時間がたったのだろう。
気が付くと僕はキッチンにいて、目の前にはできあがったおでんがあった。
ふたを開ける。
きらきらと輝くおでんには虹がかかっていた。