カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

雪の降る日に

数年に一度の寒波が来ているようだ。
雪が振り始めた空を見上げながら、僕はあの日のことを思い出す。

今から6年前の年の初めのことだ。
「数年に一度」の数年前にあたる年かもしれない。

年末年始は妻の実家で過ごすことが慣例となっていて、その年も妻の実家がある大阪にいた。
当時、僕たち ―僕と妻と1歳の息子― は福岡に住んでいて、その年は車で帰省していた。

年が明け、福岡に向けて高速道路を走り始めた。
岡山県に差し掛かったころ降り始めた雪は、広島県に入る頃に強くなった。
冬タイヤ規制だったか通行止めだったかは忘れてしまったが、ノーマルタイヤの僕たちは高速道路を降りることになった。

東広島のインターチェンジを降りると、すでに渋滞。
車の列は長く果てしないように思えた。
こういう時は気持ちを落としてはいけない。
明るい音楽をかけ、僕たちはワインボトル2本分くらいの会話を楽しんだ。
自分の機嫌は自分でとる。
僕たちはそういう夫婦だった。
息子も幸い、ぐずったりしなかったので助かった。

 

だんだんとあたりが暗くなっていく中、走っていた幹線道路は次第に細くなっていき、山越えのような雰囲気になってきた。
周囲に積もっていく雪の量に比例するように、僕の不安も大きくなっていた。

ここから先、お店や休憩できるようなポイントは期待できないなというようなところに、ガソリンスタンドがあった。
給油したり、タイヤにチェーンを装着したりしている人もいる。

僕の車はノーマルタイヤだったので、念のためにと実家にあったタイヤチェーンを積んでいた。
今時珍しい金属式のチェーンだ。
できれば使いたくなかったのだが、この先の行程を考えると装着しないという選択肢はなかった。
妻と息子には室内の休憩スペースで待ってもらうことにして、作業に取り掛かった。

しかし、タイヤチェーンなんて使ったことなんかない。
なんなら見るのも初めてくらいだ。
スマホでつけ方を検索し、Youtubeの動画を繰り返し見ながら試行錯誤の末、なんとか取り付けることができた。
このときほどyoutubeの存在をありがたいと思ったことはない。
待たせていた妻と息子を呼びに行くと、二人とも笑顔で待っていてくれた。
とても寒かったと思うし、きっと不安だったと思うが、そんなことを僕に感じさせないよう努めてくれたに違いない。
ありがたい存在だ。

 

そこから先は暗く寂しい山道だった。
金属チエーンをつけた車はガタガタなるし、渋滞はずっと続いていて僕たちはのろのろ走った。
雪の積もった山道を走るのはとても緊張した。
ハンドルやアクセル・ブレーキの操作をちょっとでも誤ると、とんでもないことになる。
それは今、この渋滞の列にいるすべてのドライバー、それぞれが感じていることでもあり総意でもあった。
僕たちはそれを感じ合いっていて、ある意味では互いに互いの手を取り合うような相互扶助的なドライブと言えた。
一人の犠牲者も出してはいけない、だからここは協力が必要なんだ。
そんな声が聞こえてくるようだった。

そうしているうちに、上っていた道は峠を越え、文字通り峠を越え下りになった。
しばらく走っていると先に明かりが見えた。
セブンイレブン
まさに希望の灯だった。
通る車はみんなセブンイレブンに寄っていた。
そこにいる人々は安堵の表情を浮かべていて、とても楽しそうだった。
この苦難を乗り越えたもの同士の不思議な一体感があった。
セブンイレブンいい気分。
こういうことだったのか。

トイレを済ませ、食料と飲み物を買い込み僕たちは再び走り始めた。
なぜかこのセブンイレブンには限定醸造の珍しいビールが置いてあったので、ちゃっかりそれも購入しておいた。

そこから先はこれまでの道のりに比べるとイージーモードだった。
やがて道は大きくなり、周囲の明かりも増え始め、市街地に出るころには雪も止んでいた。
途中のファミリーレストランの駐車場でチェーンも外すことができた。
この時やっと僕も妻もほっとしたことを覚えている。
息子は疲れたのか眠っていた。
そして僕たちは再び高速道路に乗って福岡へと走り出した。

 

僕は雪を見るとこの日のことを思い出す。
あの広島のセブンイレブンファミリーレストラン、妻と交わした会話のことを思い出す。
あの時一歳だった長男は小学生になった。 
その間に次男が生まれ、長女が生まれた。
そしてなんの因果かわからないが、僕たちは今広島で生活している。