カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2024.5.25(土)

文芸誌を読んでいると、小説なのかエッセイなのかわからない作品に出会うことがときどきある。
単行本の場合、これから読む本がどちらかわからないなんてことはまずない。
文芸誌の場合、そこに書かれているのがタイトルと著者の名前だけで、それがなんなのか明示されていないことが多い。
まあその時点で小説なのだろうけれど、読み始めてみると、特に一人称で書かれたものは、もしかしてエッセイなのかな? と思ってしまうことがあるのだ。

そんなときに思い出すのは、小山田浩子さんの「全部私小説だと思って書いている」や、「目の前のひとつひとつを信じて書いていけば小説になる」という文章だ。
読み進めているうちに、小説でもエッセイでもどちらでも構わないなという気がしてくる。