カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.10.2(月) 『極北』

インターネットの打ち合わせをした。
マットの業者がセールスにやってきて、サンプルのマットとモップを置いて行った。
モップで掃除をした。

スーパーで買い物をして帰る。
掃除のNさんが来る日なので今晩の献立は餃子だ。
月に二回、餃子の日がシステマティックにやってくる。
娘にチョコあ~んぱんを買って帰る。
私が食べてるのをみて、気に入ったようだ。
最近、チョコあ~んぱんばかり買わされる。

さまざまな雑事の合間にマーセル・セロー『極北』を読み進める。
そこで描かれる圧倒的な孤独に打ちのめされるような感覚を覚える。

もう長いあいだ、私は誰からも命令を受けなくなっていた。しかしどこか東の方にはまともな街がいくつか残っていて、そこでは法律がまだ一応は機能しているはずだ。私は常にそのような希望を抱いていた。まず父を葬り、次に母を葬り、それからアンナを、チャーロを葬っていったとき、我々がかつて送っていた生活が過去のものとなり、誰も歌わない古い唄のように忘れられていったとき、それが私にとってのひとつの慰めになった。たぶん、この街はとりわけひどいことになったのだろう——かつてはそう考えていたものだ。それとも私たちは、ただ忘れられてしまったのかもしれない。しかしここはともかく、よそでは以前の生活が今同じように営まれているのだと。

出典:マーセル・セロー『極北』(村上春樹・訳)

夕方、息子の友達が遊びに来た。
任天堂switchで遊んでいた。
実に楽しそうであった。

餃子を焼いた。
皿に移すと、焦げたところと焦げてないところが半々くらいのグラデーションになっていた。
焦げ目がある方が美味しい。


f:id:cafeaulait-ice:20231003001927j:image