カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.30(土) 『喫茶店のディスクール』

サンフレッチェ広島の試合を観に行く。
今日はひとりで。
対戦相手は名古屋グランパス
7月にサンフレッチェのエース森島選手が移籍したチームだ。
いろいろな思いが交錯する試合になりそう。
駅からスタジアムまで歩いていると雨が降り出した。
雨雲レーダーによると長くは続かないようだ。
レインコートを着て歩く。
ポテりこを買っていつもの席に座る。
雨の中、試合前の練習を観る。
観ながら店の在り方・在り様について考える。

本来、美味い不味い、美しいということは遊びではない。なんならすべて遊びではだめなんだけど、今は不味いものを美味しいということが、まるで遊びのように、まあまあ簡単にできる時代だよね。デザインのコピーも口コミの操作も簡単。本来悪い人の所業だった情報操作を、善人が当たり前のようにやってしまう時代になった。もっというと、写真さえ撮れればそれでいい、みたいな店と客との関係で商売が成り立ってしまう。

出典:オオヤミノル『喫茶店ディスクール

ここ広島で暮らし店をやっていくということが、どのような意味を持ってくるのだろうか、などつらつらと考える。

そういうものから脱却するには、ヨーロッパに根付くオーベルジュ文化なんかはいいヒントで、シェフが家賃などのノイズを極力少なくすることで、土地の味や文化、自身のキャリアを存分に発揮しようと努力した結果であり、その土地の可能性や歴史まで広げる可能性がある。ミシュランなんかの存在によって大都市との接続すら資本主義の論理を使って持ち得ている。宿泊させるというのも正当な囲い込みで、客が泊まってでも食べたい、経験したいと思わせるものがあるからこそ、都市開発でも、町おこしでもなく、一人のシェフがやりたいことを実現した結果がローカルを刺激することになる。

出典:オオヤミノル『喫茶店ディスクール

練習が終わり、キックオフを迎える頃には雨が上がっていた。
雨上がりってなんでこんなにロマンチックなのだろうか。
緑の芝がきらきらと輝いている。

0-0で迎えた後半15分くらい、ぬるっとしたミスからあれよあれよと攻め込まれ、先制点を許してしまう。
いやな空気がスタジアムを支配し始める。
その空気をぶちやぶってくれたのがルーキー越道くんだった。
交代直後のファーストプレーのセンタリングから、加藤選手の同点ゴール。
ここで一気にムードが変わった。
こうなると今年のサンフレッチェは強い。
スタジアムの誰もがそう思っていたはずだ。
そこから立て続けに逆転ゴール、追加点と決めて3-1の快勝。
気持ちの良い勝ち方だった。

試合後、森島選手がサンフレッチェサポーターのゾーンに挨拶に来る。
試合中、森島選手がボールを持つたびにブーイングを浴びせていたサポーターたちとの対峙の時間だ。
私はブーイングについて考えていた。
シーズン途中での移籍。それは選手本人にとっても、サポーターにとっても複雑なことだと思う。
ブーイングをしているが、本気で非難しているわけではない。
チームから去っていくエースに対しての不満や寂しい気持ちと、選手本人の意思を尊重したい気持ちが同居するなかで、自分たちを納得させる唯一の方法がブーイングなのだ。
サンフレッチェのサポーターとして、ブーイングせざるをえないのだ。
でも心では森島を応援している。
サポーターに向かって頭を下げる森島選手に、サポーターたちは拍手と声援を送っていた。
ガンバレよ!と熱いエールを送っていた。
帰っていく森島選手の背中を見送り、秋の夜空を見上げた。
満月は少しだけ欠けていた。


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