カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.2(土) 花火を見上げる

朝から梨を剝く。
大きな梨だ。
実家から送られてきた。
毎年この時期に梨狩りに行く両親からの秋の便り。
以前は9月の1週目の土日だったが、最近は8月の終わり頃届く。
この暑さで食べごろが早くなっているのだろうか。
いずれにせよみずみずしい梨だ。
子どもたちがあっという間に平らげる。

昼食の調達ついでに次男と花火を買いにドン・キホーテへ。
手持ち花火を買う。
土曜日午前のドン・キホーテの人の多さに驚く。
週末の間に激安の殿堂で買い溜めなのかもしれない。

ドンキの次はファミリーマートへ。
もらったクオカードを使ってみたいと申す次男のリクエストにお応えする。
グミやらチョコレートやらお菓子を買っていた。

最後にスーパーへ。
うどんと蕎麦、米を買う。
炭水化物。

午後、上の子どもたちは遊びに行き、家が静かになる。
アイスコーヒーを飲む。
まだまだアイスコーヒーの季節だ。

『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』を読み終える。

稽古のあいだ近くの喫茶店で本を読んで時間をつぶした。子どもの送迎をするとき、不思議とこれは私の人生であるがすかかり脇役のような気持ちになる。その場に圧倒的主役がいるケース、人の結婚式とか誰かのなにかの授賞式とか、そういうときすら感じない脇役性を、子どもの習い事の送迎に強く感じる。地味で継続的だからだろうか。だからうれしいとかかなしいとかそういう感情はまったくなくて、純粋に信憑して託す、それだけの行動をしているとの、感慨というか感想がある。

引用:古賀及子『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』

わかる気がする。
送迎の時間は嫌いではない。
待ち時間があってももさほど苦にならない。
生産的なことはできなくても、送迎をやってるんだからと言い訳がたつし、何より本を読む時間になる。
送迎に限らず、待ち時間は素敵だ。
待つべき何かがあるということは、それだけで素晴らしい。
本が読めるならなおのこと素晴らしい。

夜は地域の花火大会に行く。
手持ちの花火をやったあとで、打ち上げ花火を見る。
この近距離で打ち上げ花火を見られる花火はここ以外に知らない。
職人の心意気で成り立つイベントだ。
来年も見られるように樽募金をして帰る。


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