カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.7.4(火) 『それは誠』(乗代雄介) あるいは尾崎豊

修学旅行の話をしよう。
高校2年の秋、今から20年ほど前の話だ。

福岡を出発し新幹線で東京へ、東京で過ごした後は富士五湖長良川を経由しながら南下して関西方面を見学するというコースだった。
1日目は福岡から東京への移動のみで錦糸町のマリオットホテル(当時)で宿泊。
2日目からが実質的なスタートとなった。
2日目の朝ホテルを出発し、当時、開業1周年の東京ディズニーシーにバスで向かう。
ディズニーシーに着いたら解散となり、あとは班ごとの自由観光となった。
そのままディズニーで過ごしてもいいし、園を出てどこかに行ってもいい。
夕方、ホテルへの帰着時間だけが定められて、あとは自由だった。

私たちの取った行動は単純明快、「街に繰り出す」だった。
チェックイン即チェックアウト。
おそらくディズニーリゾート史上最短の滞在記録を叩き出したと思う。
センター・オブ・ジ・アースをチラ見したこととだけがディズニーシーの思い出だ。

修学旅行の数カ月前、班が決まると、自由時間の行動計画を策定する時間が持たれた。
ある者は渋谷に行きたいと言い、ある者は原宿に行きたいと言った。
調べてみると渋谷と原宿は隣接していろことがわかった。
私たちの基本方針は「街に繰り出す」と決まった。
10代の血気盛んな田舎少年たちは、渋谷でナイキの靴を買うことが最大の目的だった。
渋谷、六本木、そう思春期も早々に、これにぞっこんに。
誰もが東京のストリートに憧れていた。
私は靴を買うことに関心はなかったが、渋谷には行くのは賛成だった。
渋谷には尾崎豊の歩道橋があったから。

私は6歳上の従兄の友人の影響で、小学生の頃から尾崎を愛聴していた。
物心ついたときには故人となっていたので、リアルな尾崎を知らない。
知らないがゆえのリアリティが私の中で息づいていた。
ある日、ドキュメント番組で渋谷の歩道橋の存在を知った。
それは尾崎が高校生の頃、学校の帰り道に夕陽をみた歩道橋だった。
尾崎の死後、そこには記念碑が建てられた。
記念碑の周りには、全国各地から訪れたファンたちが尾崎へのメッセージを書き残す聖地となった。
そこへ行ってみたかった私にとって、修学旅行は千載一遇のチャンスだった。

かくして街へ繰り出したいストリートボーイズと歩道橋へ行きたい私の利害は一致したというわけだ。

ディズニーになんの未練も残すことなく、最速で浦安を出発した私たちは電車に揺られ渋谷に着いた。
ハチ公前で写真を撮った後、歩道橋へと向かった。
マジックでメッセージをしたためた。

修学旅行の思い出話を唐突に始めたのは、乗代雄介著『それは誠』に自分を見たからかもしれない。

主人公の佐田誠は修学旅行で東京へ行く。
私たちと同じように一日の自由行動で、日野市に住む叔父さんのもとを訪れる計画を立てる。
当初、誠は班から離脱し単独行動をするつもりだったが、一人の班員が同行を申し出たことをきっかけに結局男子4人の冒険となる。

芥川賞の候補にノミネートされ、著者最高傑作の呼び声高いが、すごい作品だった。
著者が作家としてデビューする前から15年以上も書き続けていた『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』の延長戦上にあることは間違いないであろうし、デビュー後の作品にも見られる、書くこととは何たるかを突き詰めんとする姿勢が物語を通して漂っている。
乗代雄介は本作で芥川賞を獲る気がしている。
獲りにきている。


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