カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.19(火) 『深く、しっかり息をして』

まずはとんでもなくどうでもいい話から始めてみよう。
パンツを買った。
ズボンではなく下着の方、正真正銘のパンツのことだ。
ここ数年、パンツに関してはスティーブ・ジョブス方式を採用しており、同じ銘柄・同じ色のものを何枚も買って履いている。
つまり毎日同じパンツを履いている。
紺色の。
へたってきたら捨てて、また同じものを買い足す。
そのサイクルで数年間やってきた。
ところがこの度、違う色のパンツを買ってみた。
なぜかバーガンディ色のパンツを手に取って、これにしてみようと思ったのだ。
明日の私は、今日とは違う私になっていることだろう。

午後、髪を切った。
平日昼間の美容院は空いていて、お客さんは私と、同じタイミングで入店した若い女性の二人だけだった。
その女性は前髪だけをちゃちゃっと整えて、あっというまに帰っていった。
ロングの黒髪が秋めいた風になびいて、それは私に「美」という言葉を思い起こさせた。

川上未映子のエッセイ『深く、しっかり息をして』を読む。
未映子氏がある女子大に招かれ講演を行った際の質疑応答の時間に、ある学生から相談のような問いが投げかけられたときのことが書かれている。
母子家庭で育ったその学生は、夢を追いかけたいという気持ちはあるが、母のことを思うと就職しなければならないという思いもある。未映子氏は若いころ、夢を追うことに対して怖くなかったのか。何かアドバイスをいただければという主旨のものだ。
未映子氏は自分も似たような境遇だったこともあり、その学生の気持ちはよくわかると言う。
そのうえで、そして、自身が母親になり思ったことを踏まえてこう説く。

それは、「ああ、親は、子どもより強いな」ということだった。そして、自分が大切にしてあげたいと思えるような信頼関係のある親であるならば、その親は、子どもが自分を犠牲にしてまで親のことを優先することを決して望んだりはしないだろう、ということだった。〔…〕だからあんまり背負いこまないで、親のことは適当に考えて、まずは自分のやりたいことをやることです。そんなことができるのは本当に限られた時間のこと。いま焦らなくても人のために生きなければならないときなんてすぐにやってくるんだから、と彼女に伝えた。

引用:川上未映子『深く、しっかり息をして』

自分のために時間を使うことを説く未映子氏は、次のエッセイでもこう続ける。
仮に就職したとしても、会社は倒産するかもしれないし、病気になることだってあると。

生きていることというのは、リスクとそのままほぼ同義。そんな無限のリスクがひしめき合っているなかで、若さというのは本当に天からのギフトのような時間なのだ。基本的には体も健康、わからないことのほうが多くて限界だってまだ存在しない。そんなときにもし夢があるなら、どうしてもなりたいものや、やってみたいものがあるなら、どうしてそれを追いかけないということがあるだろうか。

成功するにも失敗するにも、とにかく人生のある時点において「賭けてみた」ということがなければ、何にも始まらないのである。

よく言われることかもしれないが、未映子氏の口からそう言われると、胸に迫るものがある。


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