カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.9.18(月) 『思想をつむぐ人たち』

ラグビーワールドカップ、日本対イングランドの試合を観るために4時にかけたアラームも意味をなさない朝を迎えた。
先日のサッカー、ドイツ戦の二の舞である。

娘が体温計を持ってきて尋ねる。
「これは何?」
「体温計だよ」
「ちがうよ、これはおでこだよ。体温計のかたちじゃないよ」
「非接触型の体温計なんだよ」
「電波?」
ここで電波が出てくることに驚いた。
この3歳児がうちのなかでは一番賢いのではないかと密かに思っている。

娘は妻に「幼稚園行こうよ」と言い始めた。
まだ祝日の概念がわかっていない。
そもそも曜日という感覚もよくわかっていないのでしょうがない。
過去のことはすべて「昨日」だし、みらいのことはすべて「明日」だ。
「幼稚園行きたい」とごねる娘の溜飲を下げるために、買い物に連れだす。
ドラッグストアに行って、トイレットペーパーや洗剤などの日用品を買い足す。
スーパーで子どもたちのおやつを買う。
娘はあんぱんまんのラムネを選んでいた。

帰って来てまだ10時半。
鶴見俊輔コレクション『思想をつむぐ人たち』を読む。
文章自体は平易で読みやすい。

哲学とは、当事者として考える、その考え方のスタイルを自分で判定するものだ。ある当事者の前に開かれている一つの視野がある。独特の遠近法、パースペクティブというようなものがある。その遠近法の中に他人の視野が入ってきて、他人の視野もその中に配列する。それが、私の定義するところの哲学だ。自分の視野の中に置かれる他人もいるということから、人類の視野というものまで考えることができるかもしれない。

引用:鶴見俊輔「イシが伝えてくれたこと」(『鶴見俊輔コレクション1 思想をつむぐ人たち』所収)

ひとりよがりになってはいけないというようなものと解釈した。

今日もまたそばを食べる。
今日はいつもの天かすとネギに、もみじおろしを加えた。
味変である。
いつもの味に変化をつけ、そばのポテンシャルを引き出す試みだ。
また明日もこうしてそばを食べるのだろう。


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