カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.4.2(日)『おいしいごはんが食べられますように』


映画を観るときの重要な要素は映像美と音楽だと思う。
話の筋がイマイチでもよくわからなくても、映像が綺麗であればそれはそれで映画として成立していると思う。
役者の演技も含めて映像としての美しさを観たくて映画を観る。
音楽にしても同様だ。
これに関しては、美しい音楽を使えばいいというわけでも、大きな音で迫力を出せばいいというのでもない。
そのシーンそのシーンにどれだけハマっているかということになるだろう。
映像美と音楽。
この二つを良く満たした映画を観たい。

映画『Winny』を観た。
ファイル共有ソフトWinnyの開発者が逮捕され、7年に渡る裁判の末、無罪を勝ち取るまでを描いた映画だ。
Winny事件については詳細をほとんど知らなかったので、事件の顛末やテーマも含め、面白かった。
先に挙げた映像美と音楽に関しては特筆することはないが、不満もない。

この映画を観ていて、もうひとつ自分なりに注目しているポイントがあることに気がついた。
食事シーンだ。
終盤、winny開発者の主人公・金子と彼の弁護士の壇がさんまの定食を食べるシーンがあった。
金子がさんまの食べ方がよくわからないと言ったのを受けて、壇はさんまの頭からガブりといく。
このシーンを観てさんまを食べたくなったのは私だけではないはずだ。
そういえば今シーズン、さんまを食べていない。

それから、居酒屋で食事をするシーンが何度かある。
公判が終わるごとに居酒屋で反省会のような趣で、その日の振り返りと次の公判へ向けての対策を議論している。
いいなと思ったのは音だ。
瓶ビールがトクトクとコップに注がれる音、ビールをぐいぐい飲む音、コップをテーブルにコトリと置く音。
音て訴えかけてくる食欲。
IMAXで聴いたらどうなるのだろうと想像する。

食べることは生きることとはよく言ったもので、食事のシーンには生き様が表れるのだと思う。

小説『おいしいごはんが食べられますように』を読み終えた。
本作はまさに、食を通じて人間関係や価値観が交錯する作品だった。
舞台は食品ラベルのパッケージ製作会社、埼玉の支店営業部。
病弱で遅刻や早退も多いが料理上手で可愛らしい、守ってあげたくなる存在の芦川。
芦川が休むことでその穴埋めを強いられるが、仕事ができるがゆえに頑張ってしまう押尾。
仕事もそこそこうまくやって、ちゃっかり芦川と交際を始めた二谷。
物語は視点を変えながら、この三人の心理描写を中心に展開されていく。

彼/彼女らがが食事を通してのコミュニケーションや、そこから発生する内面描写によって価値観の違いや、人間の感情の複雑さが巧みに描かれている。
そば、焼き鳥、おでん、鴨鍋、マフィン、ケーキ、タルト、いろいろな食べ物が登場し、そのどれもが美味しそう。
カップラーメンですら美味しそうだ。
美味しい食べものと、人間の不穏な側面とが対比されていながら入り混じっているようで面白かった。

映画化も期待したいところだ。