カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

672年 天下取るむねに 壬申の乱

「672年 天下取るむねに 壬申の乱

映画『ぼくらの七日間戦争』で、佐野史郎演じる教師が歴史の授業中に、板書をしながら言う台詞である。
もちろん年号を覚えるための語呂合わせだ。

 

ぼくらの七日間戦争』(ぼくらのなのかかんせんそう)は、1985年4月に発行された宗田理の文庫書き下ろし小説。ぼくらシリーズの第1作目

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

この小説を宮沢りえの主演で映画化されたのが映画『ぼくらの七日間戦争』だ。
廃工場に立て籠った中学生たちが、大人と闘う痛快な青春モノ。

この映画を見て以来、冒頭のセリフがずーっと頭の中に残っている。
これだけではない。
この映画に出てくるセリフを僕はかなり覚えている。

 

例えば、物語の中盤に仲間割れをして、立て籠っている廃工場を出ていこうとする安永に向かって中尾が叫ぶセリフ

「帰るんだったらさっさと帰れ!たとえ僕は一人になっても、ここに残る!!」

土砂降りの雨の中、戻るよう懸命に説得するも「ガリベンはだまってろ」と一蹴された優等生の中尾が、不良生徒の安永に対してブチ切れる名場面だ。
 

それから、例えばこんなセリフ。

「お願い、エレーナ。お願い」

宮沢りえ演じる生徒会長、瞳のセリフだ。
教師たちとの戦いの中で、動かなくなってしまった戦車・エレーナに向かって祈るシーン。
動け動けと一緒になって祈ったものだ。

 

と挙げだせばキリがないが、この映画の多くの場面を記憶している。

HDDレコーダーの中に記録されてる本作を再生すれば、今でもアテレコできるような気がする。
というか実際によくやっていた。
それくらい僕はこの映画を繰り返し観た。

 

振り返ると、この映画が今の僕を形成する最初の一歩だった。

 

小学校2年生の夏休みだ。
従兄(当時、中二)の家で、従兄がVHSに録画していたこの映画を一緒に観た。
何度も観た。
飽きるほど観た。
でも飽きなかった。

次の日もその次の日も。
夏休みのあいだに、セリフを覚えてしまうくらい観た。 
伯母は呆れていた。
それくらい僕たちは熱中していた。

 

そんなある日、従兄の部屋でみつけた一冊の本。
それが小説『ぼくらの七日間戦争』だ。

あの映画が本になってる。
(順番としては逆だがそんな事情がわかるわけない)
信じられなかった。
映画の世界と本の世界がリンクしている。
その事実に興奮した僕は、本を借りて帰った。

貪るように読んだ。
読めた。
文庫本で400ページくらいあったと思うが、関係なかった。

これが僕の読書体験の始まりだ。

それから僕は「ぼくらのシリーズ」を順番に読んでいった。
あらかた読みつくすと違う本にも興味が出てきた。

ふと家の本棚にも目を向ければ、そこにも文庫本があった。
父親の本だ。
太宰治やら推理小説やら。
太宰は難しかったので読めなかったが、『斜陽』の冒頭シーンだけは妙に印象に残っている。
スープは「スウプ」だった。

父親の本は難しくてその時は読めなかったけど、そのうちに学校の図書館にもいろいろな本があることがわかって、手当たり次第に読んだ。
そうしているうちにだんだんと父親の本も読めるようになっていった。

こうして僕の読書体験は続いていくことになる。

新潮文庫の100冊にチャレンジしたり、図書館の岩波新書を端から順番に借りていったり、毎週毎週図書館に通ったり。

気づけば本を読むのが当たり前になっていた。

それもこれも『ぼくらの七日間戦争』との出会いがあったからこそだ。
この映画そして原作の小説がなければ僕は今のように、本を読んでいなかったかもしれない。

そう思うと、従兄と宗田理先生には感謝しても感謝しきれない。

 

そして最後に。
冒頭にwikipediaからの引用を示したわけだが、この小説の発行が1985年4月になっていることに気がついた。
何を隠そう、僕の誕生日も1985年4月なのである。
この奇妙とも言える一致に、易い表現を借りるならば、運命的なものを感ずにはいられないのであった。