カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

生そうめん

百貨店の9階、催事場の片隅に僕は立っている。
なぜそこにいたのかはわからない。
隣にはもうすぐ5歳になる二番目の息子がいて、彼も僕同様に自分がなぜここにいるのか、その意味を見出せずにいるようだ。
百貨店を訪れることが決して珍しいわけではない。目的もないままに、上から下まで、あるいは下から上までエスカレーターに乗って各フロアを巡廻し、結局何も買わずに帰ることもあるにはある。
しかし、今日はいつもと違う感じがする。
エスカレーターにもエレベーターにも乗った覚えはなく、気が付くと僕たちは催事場にいた。本人の意志とは関係なく、無邪気な子どもの手によってあちらこちらと配置を換えられるレゴブロックの人形のように、僕は催事場に配置されたようだった。
だとするならば、客としての役割を全うするまでだ。
単純な話だ。

さて、客としての役割を全うしよう、任務を遂行しようとするも、さっそく困難に見舞われる。
この催事場でいったい何が行われているのかがわからない。
雰囲気として感じ取れるものはある。
各地の名産品を扱う物産展のようであり、余ったお中元やお歳暮を箱からバラシて販売する解体セールのような、とにかく雑然とした空気を感じる。
ただ感じるだけで、その実体を掴むことができない。
どれだけ目を凝らして注意深くみようとしても、わかるのはただ何かがそこにあるということだけだ。
もしかしたら息子には見えてるのかもしれないと思い、様子をうかがってみる。

「何か買おうか。好きなものを選んでいいよ」

「うん」

静かに頷いた息子は、目の前のワゴンじっとみつめ、そして言う。

「欲しいものはなさそう」

何が見えていたのかはわからないが、彼にとって買いたくなるようなものではなかったようだ。
これは単純な配置ミスで、ここは我々の来るべき場所ではなかった。
僕がそう思い始めるのに時間はかからなかった。
であるならば答えはひとつだ。
帰ろう。

並んでいるワゴンの間を抜け、出口付近まで来た。
出口には抽選会場が設けてある。二つ並べた長テーブルの向こうには法被を着た若い女性がお客さんをに声をかけ、「豪華賞品が当たる」抽選への参加を促している。
買うべきものをみつけられなかった僕たちには、当然、抽選の権利なんてないはずだが、この会場にはやはり何か不思議な力が宿っている。
強力な磁力に引っ張られるように、僕たちは抽選のガラガラの前に立っていた。
僕と息子は一枚ずつ抽選券を係の女性に渡した。この抽選券もいつの間に手に入れていたのか。ここはもう身を委ねるしかなかった。
まずは息子がガラガラに手をかけ、回し始める。
ガラガラと音を立て回り始めたガラガラが、ほどなくして排出したのは玉ではなく一枚の紙だった。
当惑する僕たちをよそに、係の女性は小さな折紙サイズくらいのその紙を拾い上げ確認した。

“裏”

紙にはそう書かれていた。

「じゃぁちょっと裏をみせてくださいね」

係の女性はそう言うと、息子が知らぬ間に小脇に抱えていた箱を受け取り、その裏というべきか底というべきか、を見た後に僕たちにも見せてくれた。

“表”

今度は表だ。

「人の心 裏の裏は ただの表だったりして」

昔よく聴いた曲の歌詞にそんなフレーズがあったことを思い出した。

そして、どうやらこれは「当たり」らしい。

「おめでとうございます。会場はあちらです。エスカレーターに乗って上の階へどうぞ」

女性に言われるまま、僕たちは通路の向こうにあるエスカレーターへと向かった。

階段の段数にして五段分くらいしかないその短いエスカレータを降りると、自動ドアが開く。

「へい、らっしゃい!空いてるお席へどうぞ!」

寿司屋だ。威勢のいい大将が僕たちを出迎えてくれた。
10席横一列に並んだカウンターには先客が3人。彼らも抽選で当たりを引いた強運の持ち主なのかはわからないが、静かに食事を楽しんでいるようであった。
空いてる席について最初に目に入ったのは、カウンターの上に設置されたガラスのショーケースだ。ネタを新鮮に保つためのそのケースに入っていたのは、寿司のネタではなく素麺だった。
茹でられたあとに、冷たい水で冷やされ、水気をよく切り、きれいに形を整えられた素麺だ。きらきらと輝く麺には金箔もかかっていて、ご丁寧に刺身に添えられるタンポポまで盛り付けられている。
カウンターの中には提供用の器が見える。伊万里焼か九谷焼かはわからないがとても僕のような一般人が手を出せる代物ではないことだけはわかる。
店の内装にしてもそうだ。使われている木材も皮もすべて高価なもののに違いない。
見れば見るほど高級感で溢れている。
これはもしかして、お中元で余った素麺にきらびやかな装飾を施し、豪華景品と称してプレミアム感を演出した新しいスタイルの悪徳飲食店じゃないだろうか。
騙されている。
最初から何もかもがおかしかった。

困惑する僕と息子の視線に気づき、大将は説明してくれる。

「お客さん、初めてか。ここはね、こだわりの生そうめんを出す店なんだ。ゆっくりしていってくれよ」

生そうめん。そんなものがあるのか。
法外な値段を請求されるに違いない。
そんな僕の心を読んだように大将は続ける。

「たしかに、生そうめんはこの辺ではあまり見かけねぇなぁ。大丈夫、心配することはない。これを食べれば、身も心もぷりぷりだ。なんたって生そうめんの生はなぁ、生きるって意味なんだ。つまりこれは俺たちが生きてるってことの証なんだよ。ここでは裏も表もない。ただまっすぐに生きるだけだ。この素麺のようにな。これが生き様ってやつだ」

そう言うと大将は、自慢の生そうめんを茹で始めた。

 

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お気づきの方もいるかもしれないが、これは昨晩ぼくが見た夢の話である。
できれば生そうめんを食べるところまでいきたかったが、残念ながらそこで目が覚めてしまった。
念のために調べてみると、実際に「生そうめん」はあるらしい。
乾麺ではない生のそうめん、一度食してみたいと思うのであった。