カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

成り行きで

昨今、何かにつけ、ものごとを確定させないといけないような感じがして、ちょっと窮屈だなぁと思う。

携帯電話の登場以来、メールに始まり、LINEやメッセージ、チャットなどのコミュニケーションツールを使うようになって、誰かと会うときには、約束をするのが当然のものとなった。
「アポイントもなしで失礼な奴だ」なんて言われる時代。


でも子どもの頃を振り返ると、なんか暇だなぁと思って、友達の家に行き、ピンポーン、あそぼーとか、ふらっと公園に行ってみたら誰かがいて、そのまま日が暮れるまで遊んだりして、それが毎日続いたり続かなかったり。
いわゆる「成り行き」が普通だった。


昔の文学を読んでみても、ちょっと誰それの所へ行ってみるかって出かけたけど、留守でそのまま帰ってきたり、街をふらついたりする場面がけっこうある。

会えたり会えなかったり、遊べたり遊べなかったり、その不確定さが人生のあり方なんじゃないかなぁと。