以下の文章はワーママはるさんの著書『やめる時間術』を読み、かねてより僕が抱いていた仮説を検証する過程を記したものである。
(敬称は略して表記することをご容赦いただきたい。)
その仮説(問い)とは何か。
「ワーママはるはワーキングマザーの救世主か?」
これである。
外資系企業で管理職の経験もあり、家庭では二児の母としてワンオペをこなす傍ら、個人の活動としてSNSのフォロワー数は延べ50,000人以上、音声配信アプリVoicy再生回数1000万回以上の実績をひっさげ上梓された『やめる時間術』(以下『やめ術』)。
本書が、「自分の時間を自由に使うことができない」課題を持つ、同時代を生きるワーキングマザー、あるいはこれからワーキングマザーとなるフォロワーたちの聖書となるのか、そんなことを考えてみたい。
具体的にはキリスト教の始祖イエス・キリストの生涯と、ワーママはるの ”ワーママはる” としての活動の経歴を比較しながら進めていく。
尚、題材としてイエス・キリストを引き合いにしているものの、ワーママはるの発信や活動における宗教性を指摘したり、信者ビジネスなどというような文脈に乗せる意図は全くないことを表明しておきたい。
いちファンとしての「質の高い(あるいは低い)」考察のつもりである。
また、史実・事実とは多少異なる点もあるかもしれないが、その点もご容赦頂きたい。
イエスの生涯
まずはイエス・キリストの人生を簡単にさらうところから始めてみよう。
【誕生】
イエスは聖地エルサレムにほど近いベツレヘムにて、選ばれし聖母マリアと田舎の大工ヨセフの子として生を受ける。【誕生】
神の子として祝福されるも、時の権力者には自分の身を脅かす危険な存在として命を狙われる。
イエスを抱えた一家はエジプトに逃れることになる。
【洗礼】
数年後、エジプトからローマ帝国に戻ったイエスは大人になる。
当時イエスが暮らしていたパレスチナは閉塞した状況が続いており、人々は救世主を強く求めていた。
そんななか洗礼者として人々の支持を得ていたのがヨハネ。
ヨハネは人々の期待(ヨハネが救世主であればいいのに)を受けながらも、自分が救世主ではないことを自覚していて、また、救世主が別に現れる予感を持っていた。
その人物こそがイエスだ。
ヨハネはイエスを見た瞬間に、救世主であることを確信する。
そしてイエスは洗礼を受けることになる。
これが神の子誕生の瞬間である。【洗礼】
【修行】
イエスは荒野での断食修行をするためにヨハネのもとを去る。
神の教えを広めるための修行ということだ。【修行】
四十日間の断食と祈り。
過酷な修行のなか、イエスの前に悪魔が現れこうささやく。
「おまえが神の子であるならば、その辺の石ころをパンに変えてみろ。空腹もおさまるであろう」と。
これに対するイエスの答えは、
「人の生くるはパンのみに由るにあらず」だった。
そしてこう続ける。
「神の口より出づる凡ての言に由る」と。
大事なのは物質的なものではなく言葉なんだと説き、悪魔に打ち勝つ。
【伝道】
修行を終えたイエスはひとつの使命を見出す。
それは「愛を説くこと」だ。
生きにくい世の中で、苦しむ人々に必要なのは裁きや怒りではなく、愛なのだと。
イエスは弟子たちとともに愛を説く旅に出て自分の想いを語り賛同者を増やしていった。【伝道】
イエスは愛を説く中で、数々の奇跡をみせることになる。
水をワインに変えて見せたり、動物に取りついた悪魔を追い払ったり、死者を蘇らせてみたり。
多くの人々は病が治っていく様子を目の当たりにしイエスを支持することになる。
人々の痛み・苦しみに寄り添い、自分事として受け入れ分かち合った。
イエスは「癒し」の存在だったのだ。
【聖地エルサレム】
イエスは「過越祭」が行われる聖地エルサレムへ入る。
「過越祭」とは動物を生贄として差し出す対価として罪の許しが得られるというようなものだ。
イエスは人々に負担を強いるこの慣習を是とはせず、自らが犠牲となることを決めてエルサレムへやってきた。【聖地エルサレム】
人々がイエスを支持する一方で、支配者たちはその存在を疎ましく思っている。
イエスのことを、民衆を騙して陥れようとしている罪人として扱う。
裁判にかけられたイエスは処刑されることとなる。
【死】
イエスはゴルゴダの丘で、自ら背負って歩いた十字架に磔にされ死ぬ。【死】
【復活】
しかし話はここでは終わらない。
イエスを神の子たらしめることとなる出来事が起こるのだ。
死んだはずのイエスは、三日後に蘇る。【復活】
死に打ち勝ち、神の子であることを目の当たりにした弟子たちは集結し、世界中で布教を強化することになる。
以上、少し長くなったがこれがイエスの生涯のあらましである。
【誕生】 → 【洗礼】 → 【修行】 → 【伝道】 → 【聖地エルサレム】 → 【死】 → 【復活】
次は、これら一連の流れにワーママはるの活動の経歴を当てはめてみると、どうなるかを考えていきたい。
ワーママはる
新卒で外資系企業に入社しキャリアを築いてきたワーママはるは結婚し子どもが生まれ、いわゆるワーキングマザーとなる。
ワーキングマザーとしての【誕生】と言えるだろう。
育休取得後、仕事に復帰。
起床から通勤までのバタバタをこなし子供を保育園に送り出す。
日中はフルタイムで働き、保育園で子供をお迎えし帰宅。
家事を済ませ、持ち帰った仕事をなんとか終わらせ就寝。
好きなこともやりたいこともできないまま時間だけが過ぎていく。
そんなワーキングマザーとしての経験や知見を、同じように奮闘する人たち(それは過去の自分自身でもあるだろう)に向けてブログでの発信を始める。
イエスが神の子としての自覚を持ったように、ワーママはるもまた同志たちを救うべく「ワーママはる」として活動を始めた。
【洗礼】を受けた瞬間だ。
フルタイムで働き、ワンオペでの育児と家事をこなしながらコツコツとブログ記事を書き続けるその行動は、まさに【修行】だ。
イエスの四十日の断食に勝るとも劣らない苦しみを伴ったことは容易に想像できる。
時には辞めたくなることもあっただろう。
イエスに対して悪魔が囁いたように、ワーママはるにも悪魔のささやきはあったに違いない。
パンを石に変えてみろと。
発信なんかやっていて何になるんだと。
イエスは言った。
「神の口より出づる凡ての言に由る」
二千年の時を経て、ワーママはるも言った。
「大事なのは言葉を以てして伝えることだ」と。
そしてあるときワーママはるは気づく。
書くよりも話す方が効果的だと。
イエスが言葉で愛を説いたように、ワーママはるもまた自分の言葉で語り始めた。
Voicyだ。
音声配信サービスVoicyを使って、発信を強化した。【伝道】
毎朝4時に始まる「ワーママはるラジオ」はワーキングマザーたちの心を撃った。
ワーママサバイバルを「賢く強かに楽しく生きる」ための言葉たちは、多くのフォロワーを獲得していった。
ワーキングマザーだけではない。
心を掴まれるのに、性別も年齢も職業も家族構成も関係なかった。
ワーママはるの言葉には普遍的な強さと愛があった。
水をワインに変えるかの如く、多くの人々の思考や視点を変えた。
いろんな気付きを与えてくれた。
時には困っている人々に寄り添い、痛みを分かち合うその姿はイエスというよりも聖母だった。
これを愛と呼ばずしてなんと呼べようか。
その愛はやがてひとつの形となって具現化される。
ワーママはるをハブとしたオンラインコミュニティ「はろこみ」だ。
ゆるいつながり、質の高い雑談、互いの知恵と経験を共有し合うサードプレイスはまさに【聖地エルサレム】に匹敵するくらいの力を持っているんじゃないだろうか。
一部ではワーママはるの発信や「はろこみ」を取り巻く状況に対して、信者ビジネスなどと言うような向きもあるようだが(本当にあるのはか知らない)、強く否定しておこう。
高いリテラシーのもと集った関係性と均衡は、ある種の緊張感と信頼のもとに保たれている。
イエスの存在もあるものから見れば疎ましかったように、人が本来背負っている宿命のようなものなのだろう。
信頼を獲得していくというのはそういうことなのかもしれない。
2020年4月、ワーママはるは16年勤めた会社を辞めることとなる。
会社員としての卒業。
サバティカルタイムへの突入。
それはワーママはるとしての活動の終焉、つまりは【死】を意味するのだろうか。
そんなことを感じた人もいたかもしれない。
結果から言えばそんなことはなかった。
ワーママはるは、ヨガインストラクターとして【復活】し、そして更なる活動の場を広げ活躍されている。
そんななか発売されたのが『やめ術』だ。
『やめる時間術』
『やめ術』は時間の使い方、ひいては自分の人生を生きるために有効な方法論を、彼女の培ってきた経験をベースに語られる指南書だ。
ポイントは3点に集約さる。
①見える化
②引き算
③足し算
まずは現状の時間の使い方を記録し可視化する(①)。
その中でやりたくないこと、必要ないことはやめて(②)、理想の人生に必要な要素を加えていく(③) 。
その方法とステップを具体的に丁寧に解説してくれている。
本書の中で僕が最も感服した点は参考文献の多さだ。
参考文献一覧の中には22冊もの書籍がリストインされている。
著者自らの経験と22冊の本から得た知見、そこから彼女の得意とする思考の分解と再統合されたエッセンスが凝縮され、この200ページの中に詰め込まれているのだ。
これまでの発信の中で断片的に語られた内容が、言葉たちが、一冊の本として余すところなく読者の心をさらっていく、そんな仕上がりだ。
デビュー作にしてマスターピース。
ワーママはるの歴史に刻まれた新たな1ページ。
次なる点への布石として打ち込まれた、強力な楔といえるんじゃないだろうか。
まとめ
イエスの生涯とワーママはるの活動を対比しながら、『やめ術』の位置づけが明らかになってきたように思う。
冒頭の問い「ワーママはるはワーキングマザーの救世主か?」に対する結論を出そう。
「ワーキングマザーのみならず時間のない全ての人の救世主である」
これが結論だ。
実際にこれを読み、早くも時間術を実践している人たちも見かける。
それはまるでイエスの死後、世界各国で布教を強化し、キリスト教の地位を築きあげてきた使徒たちのようでもある。
かつてイエスは人々にこう問いかけた。
「汝、これを信ずるか」と。
「信ずるからこそ奇蹟は起こる」と。
ワーママはるもまた、彼女がかつて先輩に言われた言葉を僕たちに投げかける。
「できますよ。あなたにないのは覚悟だけ」
『やめ術』は自分の人生を主体的に生きるすべての人のバイブルになり得る本だ。