カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

ちからいっぱい どりょくをしましょう

初詣に行ってきた。

僕は初詣が好きだ。
何が好きかと言えば、おみくじである。
大吉を引いた時の嬉しさは何物にも代えがたい。
心の内側からじんわりと湧き上がってくる喜び ―大吉感とでも言おうか― は、僕を幸せにしてくれる。

自分で大吉を引かなくても、同行者が大吉を引くだけでこの大吉感は訪れる。
大吉の文字を見ると今年一年いいことがあるような気がしてしまう、おめでたい男が僕だ。
独身時代は友人と、結婚してからは妻と(この妻が引きが強い)、子どもが生まれてからは家族で初詣に行きおみくじを引く。
人数が多いほど、引くおみくじの数も多いので自ずと大吉を引く確率も高くなる。

昨年春に3人目の子どもが生まれた。
今年の初詣は5人体制となり、大吉への期待も高まる。
9ヶ月の赤ん坊だって立派な戦力なのである。

昨夜はおみくじのことを考えて、寝るのが遅くなってしまったせいか今朝は寝坊してしまった。
午前中に部屋を少し片づけ、シャワーを浴びていざ神社へ。


快晴。
空は高く青く澄んでいて、空気がとても気持ち良い。
神社への道中、僕は大吉を確信した。
この中の誰かが大吉を引くと思うとわくわくした。
駆け出したい気持ちを抑え、なんとか神社にたどり着いた。

参拝者の列が出来ている。
10組くらいだろうか、みな表情が明るい。
新年の始まりはいいものだ。

手水舎には感染症対策で、自動で水がポタポタと垂れてくるような木製の装置ができていた。
境内のまわりには、お参りを終え、おみくじを引いた人たちがそれぞれの運勢を見せ合っている。
昨年は色々と変化の大きな年だった。
いいことばかりじゃなかった分、今年はいい年になるといいな。
そんなことを考えているうちに、自分の番が来た。

ありったけの小銭を賽銭箱に入れ、手を合わせる。
願い事は健康と家内安全。それからおみくじの大吉だ。

いよいよ、おみくじの時がやってくる。
おみくじ売場には色とりどりの御守が並べられている。
長男は「必勝」の御守を買っていた。
きっと彼もこれから引くおみくじに勝負をかけているのだろう。
次男はなぜか巳年の干支守を買おうとしていた。
彼は申年だ。
鈴のついた御守に描かれている猿の後ろ姿には哀愁が漂っていた。

いよいよおみくじを引き、慎重に開封する。

末吉。

だが焦ることはない。僕には家族がいる。まだ4人もいる。
妻が吉、長男が中吉、次男が吉と続く。
ここに来て少し不安がよぎる。
これだけ吉が並ぶだけでもめでたいのだけれど、本丸は大吉だ。
このまま帰るわけにはいかない。

最後の希望、長女のおみくじを開ける。
この時なぜか高校受験の合格発表を思い出した。
大きく貼り出された掲示板に僕の受験番号はなかった。
なぜここでそんなことを思い出したのか。20年も前のことを僕はまだ引きずっているのか。
そんな苦い思いを断ち切るためにも、お願いだ、子どもみくじ。

 

 

大吉。

 

 

長女が引いたおみくじには確かにそう書かれていた。
僕は静かに喜びを噛みしめた
ここに綴る喜びと感謝。
正にGreatful Daysだ。
娘よ、ありがとう。

おみくじにはこうも書かれていた。

 

「ちからいっぱい どりょくをしましょう」

 

そうか、あの時の僕には努力が足りてなかったのか。
それはわかっていた。
わかってはいたけど受け入れることを拒んだまま、年を重ねてきたんだな、きっと。

そんな20年越しの反省とともに始まった2021年。
とにかく無事に大吉を引く(見る)こともできたし、力いっぱいな年にしよう。
そうしよう。